ルート66発祥の地 スプリングフィールド
Route Springfield
ミズーリ州南西部に位置する中規模商工業都市。
ミズーリ州第3の都市で、群馬県伊勢崎市の姉妹都市である。
スプリングフィールドは「ルート66発祥の地」として知られている。
スプリングフィールド市は俳優ブラッド・ピットが少年期を過ごした街としても知られる。
ミズーリ州の中規模の都市で人口は約15万人。名の由来はマサチューセッツ州の同名であるスプリングフィールドから付けた説が有力である。
スプリングフィールドにアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの本部がある。
南北戦争の激戦地で、町の至る所に戦争の名前が地名として残っている。
スプリングフィールドは1829年にジョン・ポルク・キャンベルによって計画された。
1830年には最初の住民が町に住みついた。1835年にはグリーン郡の郡庁所在地となり、1838年には正式な市となった。人口は300人であった。
南北戦争では、スプリングフィールドは激戦地の一つであった。
1861年8月10日、スプリングフィールドから約20kmのウィルソンズ・クリークで南北両軍が激突したウィルソンズ・クリークの戦い。
南北戦争後、1870年にはスプリングフィールドに初めての鉄道が開通した。この鉄道はセントルイスとサンフランシスコを結んだ。
1888年には初めての郵便配達が行われた。
1970年にはセントルイスとサンフランシスコを結ぶ鉄道が通り町は栄えた。
ブラッド・ピットとルート66
先祖は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、北アイルランド、ドイツの血を引く。
スプリングフィールドは俳優ブラッド・ピットが少年期を過ごした町としても知られる。
オクラホマ州出身の俳優で、父親はトラック会社の経営者で母親は高等学校のカウンセラーであった。
生後まもなくミズーリ州スプリングフィールドへ移住し、南部バプテストの保守的な家庭環境で育てられ弟が2人いる。
ブラッド・ピットが3歳当時、1966年に公開された日本の映画「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」を見て感動し、後年の2012年に開催された第84回アカデミー賞の授賞式でそれを語っている。
ルート66発祥の地
スプリングフィールドでは、1927年にはシカゴとロサンゼルスを結ぶルート66が開通し、元々セントルイスとスプリングフィールドを結んでいた道路をベースに東西に拡張された、これがルート66です。
1926年、国道システムが整備され、スプリングフィールドには2本の重要な国道が創設された。
1つはスプリングフィールドとバージニアビーチを結ぶ国道60号線でもう1つは、シカゴとロサンゼルスを結ぶルート66である。
国道は「ルート66」と呼ばれ、長きにわたって人々に親しまれた。
ルート66の設置以前から、ミズーリ州内、セントルイスとスプリングフィールドの間にはオセージ・インディアン・トレイルと呼ばれるネイティブ・アメリカンの古い道が通っていた。
1800年代初頭、電報線がこの道に沿って引かれると、この古い道はワイヤー・ロードと呼ばれるようになった。
なお、電報線そのものはスプリングフィールドよりもさらに南、アーカンソー州 フォートスミスまで引かれた。
後に、この道はオールド・ワイヤー・ロードと呼ばれるようになった。
1922年、この古い道はミズーリ州道14号線となった。
この州道はセントルイス・ジョプリン間500kmを結ぶもので、途中スプリングフィールドを経由し、ミズーリ州を東西に横断していた。
また、この道はオザーク・トレイルの一部でもあった。
旧ミズーリ州道14号線こそが、後に「ルート66」と呼ばれ、アメリカの歴史に残るルート66へとなる道であった。
この国道の元と成った道がスプリングフィールドとセントルイスを結ぶ古い道であった事から、スプリングフィールドは「ルート66発祥の地」と呼ばれるように成った。
スプリングフィールド通るI-44をはじめとする州間高速道路網の発達により、ルート66は1985年に廃線となった。
ルート66の衰退への道は1956年、ドワイト・アイゼンハワー大統領が連邦補助高速道路法に調印したことによって始まった。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線においてアウトバーンを目にしたアイゼンハワーが、アメリカが戦争をしたら負けると強く感じ、高速道路網を建設しようと計画した。
ルート66の復活
1990年、アリゾナ州とミズーリ州でルート66協会が発足した。
1990年、ミズーリ州政府は、ミズーリ州内のルート66を州の歴史的ルート66に指定すると宣言した。
1990年、スプリングフィールドには全米初めての歴史的ルート66の標識が立てられた。
現在の標識は、Historic Route6(歴史的ルート66)と記されている。
最初の歴史的ルート66の標識はカンサス州のスプリングフィールドカーニー通り(Kearney Street)とグレンストーン通り(Glenstone Avenue)との交差点に設置された。
マザーロードと言われる歴史ある道はスプリングフィールドのカーニー通り、グレンストーン通り、セントルイス通り、カレッジ通り、チェストナットがルート66と名前が変更された。
ルート66で有名なステーキ&シェイク
Steak ‘n Shake
本社がインディアナポリス、インディアナ州にあり、直営店417店舗、フランチャイズ127店舗で合計544店舗ある。
創業者のガス・ベルトは、イリノイ州のモリソン・バレーで生まれ、米国海兵隊に4年間務めた後、1934年2月にはノーマル、イリノイ州でステーキ&シェイク設立した。
彼が所有していた、チキン・レストランをハンバーガースタンドとガスステーションに変更し、1960年代初頭、メインストリートとウェストバージニア・アベニューの交差点にあった。
オリジナルの建物は火災で被害を受けたが、修理をしダイニングルームを拡大した。
1990年代後半には、ステーキ&シェイクの建物をモニカルのピザ会社にを売却。
「目の前で見る事は正しい In Sight It Must Be Right」ステーキ&シェイクのスローガンにした。
企業のスローガンは、Tボーン、サーロイン、ラウンドステーキの肉から製造され、最高品質の「Steakburger」を指します。
牛ひき肉等の素材の確かさを見える為に、調理方法を見れるようオープンキッチンで牛肉を調理した。
お客からべルツの「Steakburger」は、味と素材の信頼を勝ち取った。
Steak ‘n Shake
1158 E Saint Louis St, Springfield, MO 65806-2533
ネバダ州ステーキ&シェイクで最初のレストランを2010年7月にラスベガス、ネバダ州のサウスポイントカジノの内側にオープンしました。
Steak N Shaka 9777 Las Vegas Blvd South Las Vegas, NV 89183