ゲートウェイ・アーチ セントルイス
ジェファーソン ナショナル
エクスパンションメモリアル
Gateway Arch Missouri
ゲートウェイ・アーチのあるジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアルミズーリ州セントルイス市の公園アメリカ西部開拓史に残るルイス・クラーク探検隊の出発地点に近い。
アメリカは、ルイジアナ買収 1803年、アメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソンが、フランスからミシシッピ川以西のルイジアナを獲得し、
アメリカの国土が一気に2倍に広がり、メリウェザー・ルイスとウィリアム・クラーク探検隊の成功で西部への開拓が始まった。
セントルイス
St. Louis Missouri
ミズーリ州東部、ミシシッピ川とミズーリ川の合流点に位置する商工業都市。
どの郡にも属さない独立市である。人口は約32万人。
隣接するイリノイ州イーストセントルイスとともに全米有数の犯罪都市としても有名であり、イーストセントルイスには荒廃したスラムが広がるが、危険地域さえ踏み入らなければ、治安はそこまで悪くはない。
ゲートウェイ・アーチ
Gateway Arch
歴史的出発点を記念して作られたのが、ゲートウェイアーチ。建築家サーリネンによって設計された。アーチの高さは192m、最大幅は192mである。
セントルイスでは最も高い建築物で、ミズーリ州全体でもカンザスシティのワン・カンザスシティ・プレイス高さ192.6mに次いで2番目の高さである。断面は正三角形になっている。
一辺の幅はアーチ脚部で16.5m、頂点で5.2mである。
3面の側壁は鉄筋コンクリート造りで、高さ91m地点まではステンレス鋼板で、それより上では炭素鋼板で覆われている。
内部は中空で、展望台へのトラムと非常階段が備えられている。
11 N 4th St, St. Louis, MO 63102
Tel: (314) 655-1700
建築家 エーロ・サーリネ
1910年8月20日にフィンランドの建築家エリエル・サーリネンの子としてヘルシンンキに生まれ、1923年に父の仕事の都合でアメリカに渡り、移住した。
アメリカで活躍した建築家、プロダクト・デザイナー、フィンランド人。多くの建築物や家具を手がけたが、シンプルで印象的なアーチ状構造を多く作品に取り入れていることで知られている。
1948年、ミズリー州セントルイス市の西部への国土拡大と開拓を記念して建設される国立公園「ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアル」の記念碑のデザインコンペに応募し、
優勝した「ゲートウェイ・アーチ」で注目を浴びるが、15年の歳月と設計見直しをかけて、彼の死後の1963年に着工して、1965年に完成した。
サーリネンの案が選ばれた時、最初は父のエリエル・サーリネンが受賞したと告げられた。
サーリネン一家はシャンパンを開けてエリエルの受賞祝いを始めた。
2時間後、主催者は受賞したのは息子のエーロのほうであると告げた。エリエルは2本目のシャンパンを開け、息子の成功を祝った。
世界的に有名なSaint Louis Blues Louis Armstong
建築家 エーロ・サーリネンの作品
1949年 エンテンザ邸 チャールズ・イームズと共同設計
1955年 GM技術研究所
1955年 ドレイク大学
1955年 アーウィン・ユニオン信託銀行
1955年 MITチャペルとクレスゲ・オーディトリアム
1957年 ミルウォーキー戦没者記念館
1958年 イェール大学インガルス・ホッケーリンク
1958年 コンコーディア・ シニア・カレッジ
1958年 ヴァッサー大学学生寮
1958年 クレイマー礼拝堂
1958年 アーウィン・ミラー邸
1958年 シカゴ大学女子学生寮と食堂
1959年 IBMロチェスター工場
1959年 オスロのアメリカ大使館
1960年 ロンドンのアメリカ大使館
1960年 ペンシルベニア大学女子学生寮
1960年 シカゴ大学法学部
1961年 IBMトーマス・ワトソン研究所
1962年 TWAターミナル
1962年 ベル・テレフォン研究所
1962年 ダレス国際空港ターミナル
1962年 イエール大学エズラ・スタイルズ&サムエル・モース学寮
1962年 ノース・クリスチャン教会
1963年 ディア・カンパニー本社
1964年 ゲートウェイ・アーチ
1965年 CBSビル