ルート66 アマリロ
テキサス州
Amarillo Texas
オクラホマシティーと
ニューメキシコ州の
間で最大の町で
今だに1800
年代後半の雰囲気を
残すオールドウエストを
代表する街
何世紀もの間インデイアンの部族が支配していたが、1875年の レッドリバー戦争で破れ、全てを白人に開放。
1887 年と1888 年に二つの鉄道会社が鉄道を引き、鉄道作業員達のテント村として始まった町。
町はすぐに成長していたが1889 年春の豪雨で、ほとんどの施設が流されたので約1.6km東の少し高台の今の場所に移った。
1890 年代には世界でもっとも活気のある牛の配送センターとなり、小麦産業も好調。
1918年にはガス、3年後には石油が見つかり、空前の石油ゴールドラッシュに成った。
1921 年には長い 6th St .が最初の舗装道路が後にルート66と成る。
1926 年にルート66が開通し、旅人相手のビジネスが盛んに成り全盛期には、この人気の地域でハリウッドの西部劇映画も数多く撮影された。
1930年代に干ばつと砂嵐で、大変な被害をこうむり、約10年間は客足も途絶えたが、それ以降はルート66を旅する人達が増え続け町は繁栄し続ける。
第二次大戦中には後の「George Air Force Base」となる空軍基地が出来たが1961年には閉所。
1993年に市に返還されたが、今もそのままの状態で残されている。
石油工業、農業、牧畜業などの産業で発展する今、世界中からオールド・ウエストとルート66の愛好者が有名な野外音楽祭等で毎年数千人が訪れる町に成っている。
ビッグ・テキサン・ステーキ・ランチ
アマリロ テキサス州
ステーキハウス・ レストラン・モーテルで1960年にアマリロ・ブールバード(East Amarillo Boulevard)の4500ブロックにある以前のルート66にオープンした。
1970年に州間高速道路40号線に移転したが、1976年の火事によりレストランの西側を突き破って骨董品等で10万ドルの損失を出した。
レストランは1977年に大規模な施設として再オープンした。
建物は明るい黄色で青い装飾が施されています。
大きな雄牛の像は “無料”の72オンスを時間内に食べる事が出来れば料金は要りませんの広告です。
ルート66キャデラックランチ
アマリロの人口は約16万人の中規模な都市で旧ルート66ハイウェーの中間点として有名でアマリロはカウーボーイの町。
1974年、キャデラックランチは、土地を所有している、テキサス富豪スタンリーマーシュIIIの発案に寄るもので、ウェストテキサス平原でアマリロの郊町の郊外にある。
世界的に有名なルート66のパブリックアートは、地面にキャデラックの初期モデルのキャデラックが頭から突き刺さり、カラフルなスプレー塗装で色付けされている。
キャデラックランチは、1974年にチップ・ロードが、1949年から1963年代のキャデラックの廃車を利用して創った
アート・オブジェで、大地から天への角度は、ギザのピラミッドと同じです。元々は3キロほど離れた場所にあったが1997年に現在の場所に移設した。
名曲キャデラックランチはブース・スプリングスティーン
アルバム「ザ・リーバー」1981年に収録されている。