ロックの聖地ウィスキー・ア・ゴーゴー
Whisky a Go Go
ゴーゴーダンスの誕生
ウィスキー・ア・ゴーゴーは1947年にフランスのパリに開店したディスコテック「Whisky a Gogo」から来ている。
1960年代にカリフォルニア州 サンセッ通りのナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」でミニスカートにゴーゴーブーツスタイルの女性達が始めた、ダンス(ゴーゴーダンス)がその起源成る。
設立当初は、レコードが流れる一般的なディスコとしてオープンしたが、バンドによる生演奏とミニスカートの女性が、演奏の合間に吊るされた檻の中でDJプレイをするという演出スタイルが人気を博します。
アメリカで初めての本格ディスコ
ロックの聖地 ウィスキー・ア・ゴーゴーはアメリカを代表するエンターテインメントタウン、ウエストハリウッドにあります。
その名も「Whisky a Go Go」は、銀行の建物を利用して造られたアメリカ初の本格的ディスコです。
ゴーゴーダンスはディスコ時代やクラブ時代にも引き継がれ、お立ち台の上やケージの中でセクシーなダンスの伝統は、今日のクラブシーンにも引き継がれている。
ウィスキー・ア・ゴーゴーは1964年1月11日、元シカゴで警察官をしていたエルマー・バレンタインによって設立され、バレンタインは弁護士のセオドア・F・フライヤーと広報のシェリー・デイビスとフィル・タンジーニらと手を組んだ。
世界的なバンドを数多く輩出ロックの聖地
ウィスキー・ア・ゴーゴーはパンク・ロックの流行が衰えた際に苦境を迎え、一度1982年に閉鎖したが、1986年に、興行者やバンドが借りる事の出来る場として営業を再開した。
内部のほとんどは観客達が立って演奏を聴かなければならない程、むきだしで椅子のない空間へと改装された。
ミラクルズが1966年に「ゴーイング・トゥー・ア・ゴーゴー」を録音すると、ウィスキー・ア・ゴーゴーのフランチャイズ店がアメリカ中に次々と現れた。
1966年、ウィスキー・ア・ゴーゴーはサンセット・ストリップにおいて、度々暴動の中心地の一つとなった。この曲は1982年にローリング・ストーンズがカバーしている。
ロサンゼルスにおけるロック・シーンも、このウィスキー・ア・ゴーゴーが創業した際に生まれた。
ロックからパンク、ヘヴィメタルまで最前線で活躍し、多くのアーティスト、特にカリフォルニア南部を拠点に活動するバンドのキャリアに、重要な役割を果たしている。
ドアーズはしばらくの間クラブの専属バンドを務めた。又ジミ・ヘンドリックスはサム・アンド・ディブが主演を行った際にジャム・セッションを行うため訪れている。
その他、ニール・ダイヤモンドもレッド・ツェッペリンここでライブを行った。
1970年代後半には、ウィスキー・ア・ゴーゴーがニュー・ウェイブの台頭やパンク・ロック・ムーブントの中心と成り、バン・ヘイレンなど、様々な地元のバンドが頻繁に演奏を行った。
1980年代、国内の不況に反して、ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカ等多くのハードロック、メタルバンドを輩出。
1986年バン・ヘイレンのライブは伝説と成っている。
1990年代初頭には、シアトルを拠点とした多くのミュージシャン達がこのウィスキー・ア・ゴーゴーで演奏を行っている。
「LIVE AT WHISKY A GO GO」(ライヴ・アット・ウィスキー・ア・ゴーゴー)は、1981年7月11日に発売されたシャネルズ(ラッツ&スター)のライブ・アルバムにも使われている。
ギタリスト エディ・ヴァン・ヘイレンさん死去 65歳
2020年10月7日 11時29分
「ジャンプ」や「パナマ」など1980年代を中心に多くのヒット曲を生み出したアメリカの人気ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリストとして活躍したエディ・ヴァン・ヘイレンさんが6日、亡くなりました。65歳でした。
エディ・ヴァン・ヘイレンさんは1955年オランダ生まれで、その後アメリカ西部カリフォルニア州で育ち、兄のアレックスさんらとともに、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を結成しました。
アルバム「1984」では、シングルカットされた「ジャンプ」が日本を始め、世界的なヒットとなりました。
エディさんは、右手でギターの弦を押さえる「ライトハンド奏法」と呼ばれる独特の演奏法でも人気を集め、1983年に発表されたマイケル・ジャクソンさんの「今夜はビート・イット」にも参加するなど、その後のギタリストに大きな影響を与えました。
8901 Sunset Blvd, West Hollywood, CA 90069