ルート66のライブハウス
トルバドール
Troubadour
トルバドールは1957年に
ビバリーヒルズに近い
ウエスト・ハリウッドに
オープンした。
伝説のライブハウス
トルバドールは
老舗中の老舗
ボブ・ディランや
ジョニ・ミッチェル
ニール・ヤング
エルトン・ジョン
ビリー・ジョエル
ジャニス・ジョップリンなどが
常連客でビッグスターが
ロサンゼルスでの
デビューを飾る際に選んだ場所。
エルトン・ジョンのアメリカでのデビューやビリー・ジョエルのロサンジェルスでのデビューをした。
70年代ばジェームス・テイラーやキャロル・キングなどのウェスト・コーストサウンドの時代・・・
特に名曲ホテル・カリフォルニアで有名なイーグルスはドン・ヘンリーとグレン・フライが出会った運命の店であった。
又イーグルスの名曲「Sad Cafe」はこのお店の事を歌っている。
イーグルスをバックに従えていた当時の歌姫リンダ・ロンスタットはもともとこの店のウェイトレスだったとか?
ブルース・スプリングスティーンもトム・ペティもエルヴィス・コステロもステージに立っています。
更にはメタリカやガンズ・アンド・ローゼスなどの歴史的舞台に成っています。
伝説の聖地、ウエストハリウッドにある
ロサンジェルスの伝説のライブハウス
トルバドール
トルバドールは、ロックファン、特にウエストコーストロックファンなら知らない人はいない世界中で有名な由緒あるライブハウスで、
ウエストコーストロックの源流と言われている ザ・バード、バファロー・スプリングスもここが出発点。
後にイーグルスとなるメンバーがリンダ・ロンシュタットのバックバンドとして演奏していたのもこのトルバドール。
バーニー・リードン、ランディ・マイズナーそしてドン・ヘンリー、グレン・フライの4人がここでステージに立ちながら、
ビールを飲みメジャーに成る夢を語りながら毎日を過ごしていた場所なのです。
イーグルスの事実上のラストアルバムである Long Run の最後のナンバーで少し悲しげな曲The Sad Cafe は
このトルバドールの事を歌った曲なので、彼らにとってここは、彼らの始まりでもあり、又終わりでもある記念すべき場所です。
イーグルスのザ・サッドカフェThe Sad Cafeドン・ヘンリーかグレンがここに初めてきた時に、
となりで裸足のリンダ・ロンシュタットが曲にあわせて踊るのを見て
「ついにやったぞ、ここはロスアンジェルス、俺たちは天国にいるんだ!」と思わずつぶやいたそうです。
「彼は、僕にとって兄弟のような存在だった。
僕らは家族だった。
そして、たいていの家族がそうであるように、家庭が崩壊したときもあった。
でも、45年前に僕らが築いた絆が断たれたことはない。
「僕らは、音楽の世界で名を成そうという同じ夢を持ちLAへ旅した2人の若者だった。
そして、根気と、音楽への深い愛、ほかの素晴らしいミュージシャンたちやマネージャー、アーヴィン・エイゾフと共に、夢見ていた以上に長く続くことになったものを築き上げた」
「でも、これをスタートしたのはグレンにほかならない。
彼はスパークプラグであり、大志を抱いた男だった。
ポピュラー・ミュージックに対し百科事典のような広大な知識と、終わりのない勤労意欲を持っていた。
愉快で頑固で、気まぐれで寛大で、才能にあふれ意欲的だった。
彼は、奥さんと子供をなにより愛していた」
「僕らは全員、ショックで、信じられず、深い悲しみに包まれている。
僕らは7月末、2年間におよぶ「ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス・ツアー」を成功裏に終えた。
そして、彼は逝ってしまった。
自分が運命というものを信じているのかわからないが、1970年、グレン・ルイス・フライと出会ったことが僕の人生を永久に変えたのは確かだ。
そして、それがたくさんの人々の人生に影響を与えた」
「彼がいない世界で前に進み続けるなんて、とても変な気がする。
でも、僕は毎日、彼が僕の人生にいたことを感謝し続ける。
安らかに眠れ、僕のブラザー。
君はやろうとしていたことをやり遂げた。それ以上に多くのことも」
イーグルスの創設者、グレン・フライは月曜日1月18日2016年、リウマチ性関節炎、大腸炎、肺炎から生じる合併症により亡くなった。
まだ67歳だった。