ルート66アーケーディア
Route666 Arcadia
カリフォルニア州ロサンゼルス郡、ロサンゼルスのダウンタウンから21㎞ 北東のサンガブリエル・バレー、サンガブリエル山脈の麓に位置する都市。市内にはサンタアニタパーク競馬場やロサンゼルス郡樹木植物園がある。
アーケーディアの名前
自然との調和、牧歌的な平和、手付かずの土地の代名詞として有名なギリシャのアルカディア地方にちなんで名付けられました。
標高147 m 人口56,364人
アルカディアの歴史
8000年以上にわたって、アルカディアはトングバ族の生活の場で、ロサンゼルス盆地からサンフェルナンド・バレーまでが領域でした。
1771年からミッション・サンガブリエル・アルカンヘルの伝道所が設立された。
その後ランチョの所有者はゴールドラッシュの移民、ビジネスマン、そして1875年には大地主のエリアス・ジャクソン・ラッキー・ボールドウィンなど数回変わった。
ボールドウィンはランチョサンタアニタの32km2を20万ドルで購入し、自分の家を建てることに決め、農場、果樹園、牧場の整備に取り掛かった。
ボールドウィンは彼の4番目の妻と自分のためにクイーン・アン・コテージを建設した。現在はロサンゼルス郡樹木植物園に保存されている。
1885年、ボールドウィンが株主であったロサンゼルス・サンガブリエルバレー鉄道が開通し、土地の一部は分譲地になった。後にこの路線はサンタフェ鉄道になった。
1889年、ファースト・アベニューとセントジョセフ・ストリートの交差点のちょうど北側、線路に隣接した場所に、彼の新しい町の中心的存在としてホテル・オークウッドをオープンした。
最初の酒類販売権は彼の娘、クララ・ボールドウィンに交付された。
隣接するパサデナが1886年に設立されてから酒類の販売が禁止されていたことを考慮すると、これは重要なことである。
1890年、ボールドウィンの利益のため、また町の人々の要求によりランチョ・サンタアニタ駅が建設された。
20世紀末までに、アルカディアの人口は500人を超えた。経済の基盤は娯楽、スポーツ、サービス業、ギャンブルなどであった。後にサンタアニタパーク競馬場が作られた。
ボールドウィンはアルカディアが1903年に市となるのを監督し、初代市長に就任した。
場所には連邦陸軍のロス・フィールド飛行場があった。陸軍の観測者はここで熱気球で敵の動きを監視する技術を習得した。
第一次世界大戦の後、アルカディアの人口は増加し、地域の経済は多くの養鶏場等による農業によって支えられた。1920年代から1930年代、アルカディアは現在の住宅都市へと変貌し始めた。
小さな農場や養鶏場は住宅になり、図書館やシティホールも建設された。かつてはルート66が市内を通っていた。現在はコロラド・ブールバードになっている。
市内に競馬場を作ったラッキー・ボールドウィンのもとで、一時的に競馬が栄えたが、1909年に州によって禁止された。
1934年12月、隣接した場所にサンタアニタパーク競馬場が開場し、競馬は再び合法となった。建築家のゴードン・カウフマンによって、コロニアル様式とストリームライン・モダン様式を融合した様々な建物が設計された。
日系アメリカ人の第二次世界大戦収容所 カリフォルニア歴史的建造物#934
第二次世界大戦中の1942年、サンタアニタパーク競馬場のレーストラックは日系アメリカ人収容のためのサンタアニタディテンションセンター(集合センター)となった。
彼らは自宅やコミュニティから立ち退くことを強いられ、フランクリン・ルーズベルト大統領が発令した大統領令9066号のもとで強制収容された。
日系人はカリフォルニア州内陸部または州外の日系人収容所に送られるまでの間、ディテンションセンターに拘留され、
バラックができるまで一時的に収容してました。馬小屋に住まわされた人もいた。
全18か所あったディテンションセンターの内、サンタアニタのディテンションセンターは最も大規模で長期間にわたり存在した。
18000人以上の人々が原始的な環境の競馬場で生活していた。タール紙に覆われたバラックが400軒以上建てられ、1軒につき3つの家族が収容された。
約8500人は厩舎だった場所で生活した。独身男性は競馬場の観覧席で生活した。共同のシャワーはあったが、個人用の風呂場はなく、24時間監視下に置かれた。環境は極めて厳しく、一人につき「軍用簡易ベッド、毛布とわらの枕が一つ」与えられた。
ディテンションセンターは1942年3月から10月末まで置かれていた。その後日系人は州内のマンザナー強制収容所やトゥーリーレイク戦争移住センター、その他西部やアーカンソー州にあった8つの強制収容所に送られた。
1942年11月、アメリカ陸軍武器科の訓練施設とするために移譲され、キャンプ・サンタアニタに改名された。
戦争終盤にはドイツアフリカ軍団の数千人の捕虜を収容した。
第二次世界大戦後
アルカディアは隣接するパサデナの裕福な郊外として成長した。ロサンゼルス・タイムズの御曹司で、隣接するシエラマドレに住んでいたハリー・チャンドラーが広い区画の住宅地を開発した。
宇宙産業、競馬関連の事業、金融業など多くの企業の経営者が市を居住地として選んだ。
戦後の好景気によりアルカディアは郊外型住宅地として急速に発展し、多くの養鶏場は住宅地の区画に分割された。
1940年から1950年の間で人口は2.5倍以上に増加した。住宅ブームは1950年代から1960年代にかけても続き、成長に伴って学校の整備、商業施設の建設、行政サービスの拡張が必要になった。
アルカディアの富裕層向けの住宅地は主にフットヒル・フリーウェイの北側で、住宅所有者組合によって管理されていた。中国の富裕層からの評判は高まり、住宅価格は高騰し、「中国人のビバリーヒルズ」と呼ばれることもある。
以前はサンマリノ市がチャイニーズドリームの頂点としてよく知られていたが、現在はアルカディアの住宅が彼らの興味を引いている。
ルート66アーケーディア
ルート66にはアルカディアという名前の町が2つあり、もう1つは、有名な歴史的な丸い納屋のあるオクラホマ州のアーケーディアです。
グーギー建築
幾何学的な形、広大なガラスの表面、宇宙時代をテーマにした象徴的なモーションデザイン(原子、ブーメラン、翼の形、ディスク)を備えた、原子と宇宙の時代にインスピレーションを得たモダンな建物のデザインの形式でした。
1940年代後半にカリフォルニアで登場し、1960年代後半まで人気がありました。カフェ、モーテル、サービスステーションは、これらのモダンなデザインを採用しています。デニーズはその良い例です。
元アーケーディアニュースジャーナルビル
アルカディアニュースジャーナルビルは、1932年頃にアールデコ様式で建てられました。ファサードの上部にある正方形のパネルに注目してください。これらはJ.J.Moraによって彫刻されました。建物は現在、葬儀場になっています。
Chapman Funeral Homes
51 East Huntington Drive, Arcadia, CA 91006
バンデカンプのレストランとパン屋
Vande KampのHolland Dutch Bakeries
1967年に、建築家のハロルドビスナーとハロルドズックがかつてのバンデカンプのレストランとパン屋のために設計したミッドセンチュリーのグーギースタイルの建物です。
バンデカンプのレストランとパン屋は、1915年にロサンゼルスで設立。
その後、バンデカンプのレストランベーカリーは閉鎖され、対象の建物はデニーズのコーヒーショップに改造されました。
1987年、アーケーディア市議会は、風車の回転を禁止する条項を含む標識規則を改正した条例第1858号を採択しました。
1999年、デニーズは象徴的な風車の撤去することを提案しましたが、反対派のグループによってキャンペーンが開始されたが、デニーズは計画を変更し、2013年には復元し、2016年6月に条例が廃止され、風車が再び回転しています。
Denny’s Windmill Restaurant
7 E Huntington Dr. Arcadia
ルート66ロッドズグリル
Route 66 Rod’s Grill Arcadia CA
ルート66ロッドグリルカリフォルニア州のアルカディアの65周年を迎えたアメリカン・レストランです。
1957年にオープンした、ロッドズグリルのネオンサインターコイズのブースや天井からぶら下がっている魅力的な金色のランプが、印象的で歴史を感じさせてくれる。
クレープやワカモレ・バーガーと有名なサワークリームサラダドレッシングが人気みたいです。
ロッドグリルレストランの歴史
1946年にアルハンブラValley Blvd Alhambra CAに最初の場所がオープンしたロッドウェルマンによって開始された小さな地域チェーンでしたが、ルート66アーケーディアのロッドズグリルだけが生き残っている。
ピコリベラ 1955年
モンテベロ 1956年 ビバリーとガーフィールドにあります。
アーケーディア 1957年1月
イーストロサンゼルス1959年ハイウエー60の高速道路の土地収用の為で1年しか続かなかった
エルモンテ 1962年 ボールドウィンのすぐ西の谷にあります。
ウォークアップハンバーガースタンドであるロッドのジュニアも、レストランのすぐそばのエルモンテにいました。
1946年に設立されたロッドグリルは、歴史的なルート66沿いにぴったりと位置しています。現在のオーナーであるマニー・ロメオ( Manny Romero)は、1996年にすでに設立された飲食店を購入しました。
2006年にメルセデスベンツのディーラーを拡大するために。土地収用を主張するアルカディア市が、この場所を購入し、ラスナックのディーラーに引き渡す計画があり、食堂はほとんど取り壊される寸前でした。
ロッドの息子のバリーとブライアンウェルマンによると、このアルカディアの場所はロッドの#4であり、ダイニングルームを備えた最初の場所でした。
ワゴンホイールのシャンデリアを使った西洋をテーマにしたもので、すべてカウンター席でした。その後改造され、3つのブースが追加されました。
Rod’s Grill
41 W Huntington Dr, Arcadia, CA 91007