ルート66とマリリンモンローのお墓
Marilyn Monroe grave
マリリン・モンローが寝る時にシャネルの5番を纏っていたというのは有名な話「何を着て寝ますか?」「N°5を数滴」このシャネルN°5を最も有名にした。
1926年6月1日~1962年8月5日、カリフォルニア州 ロサンゼルス出身の女優。20世紀を代表する永遠のセックスシンボルであり、ルート66のシンボル的女優でもあります。
身長166.4cm、体重53.5kg、スリーサイズはB94 W61 H86。
トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、独特な歩き方、モンロー・ウォークは世界的。
フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。ノルウェー人の血を引いているが、髪の色はブロンドではなく褐色であった。
モンローの死
1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドにある自宅の寝室で全裸で死亡している所をメイドが発見した。
36歳没。死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃が走った。
葬儀はモンローの死の3日後、1962年8月8日にハリウッドにあるウエストウッド教会にて執り行われた。
式はディマジオが取り仕切り、参列者は生前にモンローの一部の関係者など約30名の小規模な葬儀であった。
ブレントウッド
カリフォルニア州ロサンゼルスのウエストサイドにある富裕層の地域です。
1880年代に近代的発展を始め、1932年の夏季オリンピックで五輪の一部を開催した。
1994年のO.J シンプソンの殺人事件の場、1961年には悲惨な火災が起こった。ブレントウッドには、俳優や女優など多くの有名人が住んでいる。
モンローの墓
マスコミは一切シャットアウトされ、ハリウッドの映画関係者は1名も呼出しはなかった。
その後、モンローの遺体は故郷へ搬送された。墓所は故郷ロサンゼルスのウエストウッド・メモリアルパークにある。
モンローを司法解剖した監察医は、トーマス野口こと野口恒富である。
ディマジオは離婚後もモンローを一途に愛し、変わらぬ友情で彼女を支え続けた。
モンローの晩年は2人は多くの時間を過ごし、亡くなる数日前には2人が再婚の約束をしていたという双方の関係者からの複数証言が残っている。
そして、モンローの葬儀時には彼女の遺体を前に「愛している」と声をかけ続け、涙を流したと伝えられている。ディマジオは自身が亡くなるまでモンローについてのコメントは控えた。
「ある女性誌が、貴方が話してくれたら5万ドル払うと言っているが」と尋ねられた時も「世の中には金にかえられないものがある。それは愛の思い出だ」と答えた。
モンローの死後20年にわたって週3回、彼女の墓に赤いバラ(アメリカン・ビューティー)を送り続けた。
これはディマジオの亡き後もファンクラブなどのボランティアの手で続けられている。
1978年のMLBオールスターゲームの日本向け衛星中継で一緒にマイクの前に並んだ伊東一雄は「マリリンほど素晴らしい女性はいなかった・・・」とディマジオがポツリと漏らしていたのを耳にしている。
1999年3月8日に肺がんで亡くなる数日前に友人に語った最期の言葉は「死んだら、マリリンのところへいける」だった。
埋葬されている人物
ナタリー・ウッド Natalie Wood (1938-1981) 女優
ジーン・ケリー Gene Kelly (1912-1996) 俳優
ジェームズ・コバーン James Coburn (1928-2002) 俳優
ジャニス・ジョプリン Janis Joplin (1943-1970) 歌手
マリリン・モンロー Marilyn Monroe (1926-1962) 女優
バート・ランカスター Burt Lancaster (1913-1994) 俳優
ペギー・リー Peggy Lee (1920-2002) 歌手
ジャック・レモン Jack Lemmon (1925-2001) 俳優
ビリー・ワイルダー Billy Wilder (1906-2002) 映画監督、等
Westwood Village Memorial Park Cemetery
1218 Glendon Ave, Los Angeles, CA 90024
8時00分~18時00分