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ケンタッキー・フライドチキン発祥の地

ケンタッキー・フライドチキン発祥の地
Birthplace of Fried Chicken
Kentucky


アメリカ ケンタッキー州のウィットリー郡南部に位置する最大の都コービン市は人口7304人

石炭と木材に依存し、鉄、石油、少量だが銀も産出し、深い森に覆われ豊富な天然資源がある。農業は小規模のものに限られていたが、タバコとトウモロコシが栽培されている。


ウィットリー郡 コービンの歴史
ウィットリー郡は1818年1月17日に、隣接するノックス郡から分離して設立された。

インディアンと地域の狩猟者は罠猟師の間に多くの戦闘が行われた。郡名は、戦闘の多くを戦い、荒野の道路の自警団となり、また米英戦争に従軍してテムズの戦いで戦死したことで有名だったウィリアム・ウィットリー大佐に因んで名付けられた。

1800年代に後半に地域で石炭鉱業が発展すると、近くの州から貧しい人々が流入して人口が急増し、郡内最大の町であるコービンの町が作られることになった。

郡域のすぐ北、コービンの北隣にあるノースコービンの町は、ケンタッキー・フライドチキン発祥の地である。


ケンタッキーフライドチキン

ケンタッキーフライドチキン(KFC)は起業家カーネル・ハーランド・サンダースによって設立された。

サンダースは、大恐慌の時代にケンタッキー州コービンの国道沿いのレストランでフライドチキンの販売を開始した。

サンダースは、鉄製のフライパンでチキンを調理するのに35分も要することを不満に思い、鶏肉をたくさんの油に沈めて揚げる事には反対だった。

サンダースの考えは、ディープフライは調理時間を大幅に短縮できるもののできあがったチキンは硬く、乾燥しており、揚がり方にも「むら」があるなど問題が多かった。

一方で、注文を受ける前にあらかじめチキンをまとめて調理する場合、時には閉店後に余ったチキンを廃棄しなければならなかった。

1939年、初の家庭用圧力鍋の販売が開始されたが、サンダースは圧力鍋を1個購入し、これを改造して圧力揚げ器とした上でチキンの調理に使用した。

この圧力揚げ器を使った調理では、料理時間がディープフライと同等に短縮され、サンダースの意見ではフライパンでの調理と同じ味を保つことができた。

1940年7月、サンダースは「11種のハーブとスパイス オリジナルレシピ」を完成させた。


サンダースは、レストラン業におけるフランチャイズビジネスの将来性を感じ、1952年には最初の「ケンタッキーフライドチキン」のフランチャイズ加盟店がユタ州のソルトレイクシティで生まれた。

KFCはファストフード業界にフライドチキンを普及させ、ハンバーガーによる確立された支配に挑戦することで市場の多様化をもたらした。

自身を「カーネル・サンダース」としてブランド化することで、サンダースはアメリカ文化史における重要な人物の1人となり、そのイメージはKFCの宣伝に広く利用され続けている。

急速に拡大したKFCは、サンダースが経営するにはあまりに巨大な企業になった。

1964年、サンダースは会社をジョン・Y・ブラウン・ジュニアとジャック・C・マッシーが中心となる投資家集団に売却した。

KFCは国際的に展開した最初のファストフードチェーンだった。


ケンタッキーフライドチキンの歴史

ハーランド・サンダースは1890年に生まれ、インディアナ州のヘンリービル郊外の農場で育った。

サンダースの父親は1895年に死亡し、母親は生活のため缶詰工場で働いた。

サンダースは5歳ながら子供たちのなかで最年長であり、母親にかわって2人の弟妹の世話をする必要があった。

サンダースが7歳になったとき、母親は彼に料理することを教えた。

13歳で実家を離れたあと、サンダースは鉄道職員や保険外交員などいくつかの職業に就いたが、そのキャリアは常に順調というわけではなかった。その後ケンタッキー州の移住した。


1930年の6月に、サンダースは物置を改造して自前のダイニングテーブルを設置し、小さな食事スペースを作り、立ち寄ったドライバーにステーキやカントリーハムなどの料理を提供した。サンダースがフライドチキンの販売を始めたのもこの頃からだった。

1934年、反対側の給油所の方がドライバーの視界に入りやすいため、サンダースはケンタッキー州のアパラチア山脈のはずれにある小さな町ノースコービンを通る国道25号線沿いのシェルのピュア・オイル、ガソリンスタンドの経営を購入した。

自らの技能を向上させるため、サンダースはコーネル大学ホテル経営学部で8週間のレストラン経営コースを受講した。

1936年までには、サンダースが経営するビジネスの成功は広く認められるものになっており、ルビー・ラフーン知事からケンタッキー・カーネルの名誉称号を授与されるほどだった。

1937年、サンダースはレストランを140席の規模まで拡張した。さらに、1940年には国道の反対側にモーテルを購入してサンダース・コート・アンド・カフェとした。


カーネル・サンダース像
カーネル立像は日本にKFCが進出した1970年から店舗に置かれており、カーネル・サンダース立像を店頭に置くのは日本発。

日本KFCの創業メンバーが視察でカナダを訪れた際、とあるお店の倉庫で眠っていたカーネル立像を発見した。当時の日本でKFCはなじみが薄く、赤と白のストライプの店舗外観から電気屋や理髪店に間違われることもあった。

「創業者をお店のアイコンにしたらどうだろう?」という考えから、カーネル・サンダース立像を店頭に置くアイディアが生まれ、カナダからわざわざカーネル・サンダース立像を持ち帰った。 

カーネル立像は日本にKFCが進出した1970年から店舗に置かれており、全国的にも有名だが、2018年からはベンチに座ったカーネル像が設置されている。 

その設置店舗はまだ少ないが、これは子どもの目線で身近にふれあえるようにとの思いからで、座ったカーネル像は、一般公募で「おすわりカーネル」という愛称が付けられている。

おすわりカーネルが設置されているのは、2020年6月時点で「東京ドームシティラクーア店」や埼玉の「ららぽーと新三郷店」、大阪の「ららぽーとEXPOCITY店」など16店舗となっている。

Birthplace of Fried Chicken Kentucky
688 U.S. Route 25W, North Corbin, KY 40701 USA

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