ルート66ハイドロー オクラホマ州
Route66 Hydro Oklahoma
オクラホマ州にある町のカドー郡とブレイン郡にまたがている人口は約969人のルート66にある小さな田舎町ですが世界的に有名なガス・ステーションが保存されています。
1901年8月6日に町が設立された。町はチョクトーとガルフ鉄道の近くに整備され、カドー(Caddo)という町名だったが、1901年9月に郵便局が設置された時、町の井戸水が豊富だった事でハイドロに町名が変更された。
カドー郡最初の新聞「ザ・ハイドロー・ビユー」もこの年 「カドー・カウンティー・レビュー」として発刊され、郡最初の学校や12の教会もこの年に出来た。
当時町を支えているのはとうもろこしと綿の生産で、又家畜の輸送元としても町は繁栄し活気があった。町の入口に立つ穀物エレベーターがランドマークに成っている。
1926年、ルート66が開通した後はビジネスも出来賑わっていたがI-40 が出来ると寂れ、その後は農業の町と成っている。
メインストリートにはルート66関連のビジネスや建物が今も残っており、2001年には町制100周年を祝う盛大な式典を行った歴史ある町である。
ルーシーの有名なルート66ガスステーション
大都市オクラホマ・シティからエル・レノからさらに約1時間で、ルート66を走ると小さな街ハイドロが出現します。この街には、人口約400世帯が暮らしている。
街の入り口にはガソリンスタンド兼コンビニが1軒あり、教会は3個あり、住人は熱心にキリスト教を信仰している方が多い。
ハイドロの街のI-40沿いに、ルーシーズ・ガスステーションがあります。ルート66が賑わっていた時代から営業していましたが、直ぐ横にI-40高速道路が出来、古い国道であるルート66の町は客数が激減してしまった。
カール・ディトモアは、1929年にこの2階建てのガソリンスタンドをルート66沿いの約1.6km南にある農村地帯に建設しました。
1920年代後半に自動車時代の到来で、ルート66大陸横断道路が開通し、時代のニーズによりプロバイン・サービス・ステーションが設置された。
小さなガス・ステーションにはバンガロー・クラフトマン・スタイルが使われ、2階建ての建物は当時流行だったオープン・サービス・スタイルです。
ガス・ステーションの所有権は数回変わりましたが、ルート66の旅人為にガソリンとサービスを供給し続けました。
1934年、WOとIda Waldroupが、ガス・ステーションを購入し、それをプロバイン・サービス・ステーション(Provine Service Station)と改称した。
1941年、ハモンズ・ファミリーがその運営を引き継ぎ、ルーシー・ハモンズはビジネスを60年近く経営していた。
ルーシーは、何時も愛を持って旅人に寛大な援助をし、困っている旅人には無料で宿泊させたそうです。
旅人にルーシーの事が評判に成り「マーザーロードの中のマザーロード」というニックネームが付けられました。
ルーシーの愛に満ち溢れたサービスはルート66ハイウェイの伝説的ストリーに成っています。
1971年には、南に数マイル離れた州間高速道路40の完成し、新しい高速道路への直接アクセスが出来るようになりました。
交通量が激減したルート66のガス・ステーションが経済的危機に陥りました。
そんな時でもルーシーは、生き残る方法を模索し新しいアイデアであるビールクーラーを設置し大成功を収めた。
2000年に彼女が亡くなるまで最高のお客さんは、近くのウェザーフォード(乾燥した町)にある
南西オクラホマ州立大学の少年たちで、 彼女の最後の日まで、ガス・ステーションを開いていた。
ルーシーの生活を記念した十字架は、ガス・ステーションから向かい側のマザーロードに置かれています。
プロバイン・サービスステーションは1997年ルート66協会によって歴史的遺産に認定されています。
2006年、この建物は、隣町ウェザーフォードのビジネスマンリック・コッチによって買収されました。
彼は、ルーシーに敬意を表し建物を補修しました。そして、ウェザーフォードにルーシー・ロードハウスを建て現在も営業しています。
こちらは近代的なレストランです。