ルート66カトゥーサ オクラホマ州
Catoosa Oklahoma
ロジャーとワグナーとカウンティーの2郡にまたがった町で人口は約5449人。
チェロキー・ネーションは19世紀にこの地域を支配していたが、1882 年に アトランティック&パシフィック・レイルロード が敷かれた。
カトゥーサの歴史
1880年代初頭ウィリアム・ハールズのバード・クリーク・ランチの設立で町は牛の町と成り、 牧場主たちの成功で次第に町の人口は増えていった。
1883年、連邦政府はここに郵便局を開設し、ジョン・シュライシャーが最初の局長と成った。
町のランドマークの給水塔が印象的。
市の名前はチェロキー語の発音で、発音が「ガードゥー」または「ガー・トゥシ」となっています。
「2つの丘の間」「丘の上」「丘の中」そして丘や場所を示す意味がある。
町は、1900年に241人の人口から1910年に410人まで増加しました。地元経済には、穀物エレベーター、綿花産業と穀物、大理石と炭鉱がある。
1930年までに、人口は264人、1960年までに638人に増加した。
1971年に、カトゥーサのタツサ港が造られ、街に経済的な好況をもたらしました。
港の8.1 km2 の工業団地は、2100年までに2600人以上の雇用者に雇用を提供した。
2013年12月現在、4000人以上の従業員を抱える70の企業があり、カトゥーサ港は、米国の2番目に遠い内陸港でタルサをアーカンソー川につながりメキシコ湾に流れる、ミネソタ州ダルースにある。
ルート66 カトゥーサ ブルー・ホエール オクラホマ州
ルート66沿いの名所の中でも特に有名。1970 年代初め、ヒューズ・ディビッドが、鯨の置物を集めている妻 ゼルタ への記念日の贈り物として作った場所、
こっそりと土地を買って、笑う鯨を作り、池の周りにはピクニックテーブルや椅子を置いて、一般の人達も使えるようにし、それに「キングダム ( 爬虫類王国 ) 」まで作って、アトラクションにした。
子供達にも人気の公園だったけれど、1988 年には管理を続けることが難しくなって閉園した。
2年後に ミスター・ディビスは亡くなり、 その後、寂れていったが、2011年、タルサの ビル・ヘインツ・カンパニーがボランテイアで塗装しなおし、復活。今では訪れる人達も多い。
ウィル・ロジャース・ハイウェイ
マザー・ロードジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」の中でこのように呼ばれ、この国道の別名として定着した。
ウィル・ロジャース・ハイウェイ1952年にルート66協会によって「公式」な別名として定められた。
ウィル・ロジャース、本名はウィリアム・ペン・アデア・ロジャース(1879年~1935年)オクラホマ州ウーロガ生まれ。アメリカの男優・コメディアン・映画俳優です。
彼はルート66を使ってオクラホマから出てきて、ハリウッドで成功したサイレント期の大人気スターです。
カリフォルニア州の記念碑
カリフォルニア州ロサンジェルスのパシフィック・パリセイドには、ロジャースの家、馬屋、およびポロ競技場が州立ウィル・ロジャース歴史公園として保存されている。
未亡人ベティが1944年に死ぬときにその資産をカリフォルニア州に遺贈した。サンタモニカのウィル・ロジャース小学校はロジャースから名付けられている。
ロングビーチとフェアオークスにはそれぞれウィル・ロジャースの名を冠した中等学校がある。
アメリカ海軍の原子力潜水艦ウィル・ロジャース は彼の栄誉を称えて名付けられている。ビバリーヒルズのサンセットドライブ・アンド・ビバリーにある公園もウィル・ロジャース公園と名付けられている。
またマリブの海浜はウィル・ロジャース・ビーチと名付けられた。
ウイル・ロジャース記念碑
ルート66の最西端サンタモニカにあるウイル・ロジャース記念碑。西のハズレで、東へ向かう人にとっては起点、西に向かってきた人には終点となる。
アメリカルート66はウィル・ロジャース・ハイウェイと呼ばれている。ハイウェイを献げる銘板がサンタモニカのルート66西端の反対側に置かれている。