ユニオン・ステーションシカゴ
映画の舞台「アンタッチャブル」
Union Station Chicago
1987年の映画「アンタッチャブル」は禁酒法時代のシカゴを舞台に密造酒でばく大な利益を上げるマフィアのボス、アル・カポネとFBI の戦いを描いている名作。
アンタッチャブルとは?「マフィアの買収に応じない連中」という意味。エリオット・ネスを中心に、老警官ショーン・コネリー、射撃の名手アンディ・ガルシア、そして経理のチャールズ・マーティン・スミスの4人がチームを組んだ。
アル・カポネを逮捕するには、脱税の面から攻めるのが一番良い方法だと考え、彼らはアル・カポネの帳簿係を没収する為、シカゴのユニオン・ステーションで待ち伏せる。
ユニオン・ステーションの階段で撮影
駅の階段に潜んで待ち受けていると、乳母車を押して階段を上ろうとして困っている女性が目に留まる。手を貸してやり、やっと上まで行けたと思った瞬間、帳簿係たちが駅に姿を見せた。
いきなり始まる銃撃戦、乳母車は赤ちゃんを乗せたまま階段を転げ落ちて行こうとする、片足で乳母車を止めながら正確に敵を撃ち倒すアンディ・ガルシア。
「アンタッチャブル」で一番有名なラストの銃撃戦シーンは当初は走る列車を舞台に大きなスケールで撮影するはずだったが、製作費が足りなくなった為に、駅の階段に変更されたと言われている。
映画「アンタッチャブル」の有名なシーンの撮影で使用された大階段は、グレート・ホールの東側 Canal Street入口内にある。
すり減った石のステップ アンタッチャブルの階段がある西の建物
西の建物は石造りで、美術館のような雰囲気を持つ古い建物。グレート・ホールが使用された映画には「アンタッチャブル」のほか「ベスト・フレンズ・ウェディング」1997年「ザ・スティング」「チェーン・リアクション」1996年などが、
またテレビドラマには「ER緊急救命室」「Early Edition」等「アンタッチャブル」で有名になった階段をよく見ると、一世紀近い間に通りすぎた乗客の靴で、石のステップが磨り減っているのがわかる。
大待合室「グレート・ホール」
華やかなボザール様式建築の「グレート・ホール」は、木製ベンチの並ぶ天井高34m以上の大待合室であり、そのアーチ型天井のヴォールト構造。
天窓、彫像、乗継用ロビー、階段及びバルコニーから成るスペースは、歴史あるアメリカ有数の屋内公共空間である。
ユニオン・ステーション
ユニオン・ステーションを直訳すると「合同駅」「ユニオン・ステーション」という名前の駅はアメリカの各地にあり、それぞれの都市に乗り入れる鉄道業者が共同で使用している。
アメリカのイリノイ州シカゴにある鉄道駅は、シカゴを発着する長距離列車はすべてこの駅を発着する。アムトラック子会社のChicago Union Station Company社が所有。
ユニオン・ステーションの歴史
シカゴに初めて鉄道が敷かれたのは1848年のことであったが、ほどなくシカゴはアメリカで最も重要な鉄道の拠点となった。
1874年 鉄道事業者5社
ペンシルバニア鉄道子会社のペンシルバニア・カンパニーシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道ミシガン・セントラル鉄道(ニューヨーク・セントラル鉄道の一部)シカゴ・アンド・アルトン鉄道ミルウォーキー鉄道によるユニオン駅建設合意書が締結、建設開始 1881年 完成
元々、鉄道事業者のうちミシガン・セントラル鉄道はすでに合意から離脱し、開業当初のユニオン駅は利用していない。
また、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道、イリノイ・セントラル鉄道、ノース・ウェスタン鉄道、ロック・アイランド鉄道、サンタフェ鉄道、ウォーバッシュ鉄道などの有力鉄道会社も別の駅を利用していたため、乗客の利便性向上は限定的だった。
1913年 シカゴ・ユニオンステーション・カンパニーが設立され、建替え工事が開始。第一次世界大戦、労働力不足及びストライキの影響で工事進行が遅れる。
1925年 建替え工事が完成し、5月16日より供用開始。
第二次世界大戦中は、一日あたり300本もの列車と10万人の乗降客が利用する、ユニオン駅にとって最も繁忙な時期であった。
1968年 ペン・セントラル鉄道の成立に伴い、ニューヨーク・セントラル鉄道の列車がユニオン駅から発着するようになる。
1969年 利用客の著しい減少に伴い、コンコースが取り壊された。駅全体が取壊しとなる予定もあったが、利便性のためにこれは回避され、後に新コンコースが設置された。
1971年 アムトラックの成立と共にシカゴ発着の長距離列車の大部分がユニオン駅を発着するようになる、統合が完了するのは1972年1992年 建築会社Lucien Lagrange Associatesによる改修が行われた。
現在、ユニオン駅はアムトラックのシカゴ発着路線全線と、州内鉄道であるメトラのうち6路線のターミナルとして使用されている。2007年の一日平均利用客数は約54000人のうちアムトラック利用客6000人。
10年がかりで駅舎が建てられた1925年当時は今と違って飛行機がない時代で、シカゴから遠いところに行くにはアムトラックなどの列車を利用するしかなかった。
西の建物の役割はそうした長距離列車を利用する客のための待合室で、どっしりとした木のベンチも置かれていて、吹き抜けの高い天井やクラシカルな石の柱が印象的だが、今は利用する人も少なく、ホールは閑散としている。