チェーン・オブ・ロックスブリッジ
Chain of Rocks Bridge
30年以上にわたってこの橋はルート66を走る旅人にとって色んな人生のドラマの舞台であり重要なランドマークでした。
橋からはセントルイスの町が一望出来、橋の途中には古いガスポンプとルート66がデザインされたベンチがあり一見の価値ありインスタ映えのスポットです。
元々ルート66はミシシッピを渡る際に使用されたルートであったが、現在は車両の運行は禁止され歩行とサイクリングで橋を往来出来る用に成った。
2006年には、チェーン・オブ・ロックスは国立史跡に登録された。
チェーン・オブ・ロックス・ブリッジ の歴史
橋の名前は、「岩の連鎖・チェーン・オブ・ロックス」と呼ばれ、27kmの浅瀬や一連の岩石の為、ミシシッピ川が急流に成る場所からチェーン・オブ・ロックス・ブリッジと名付けられた。
ミズーリ州のセントルイスの北端にあるミシシッピ川沿いの橋で、橋の東端はマディソンのイリノイ州のシュートー島にあり、西端はミズーリ州の海岸線に位置している。
大規模な事業であるチェーン・オブ・ロックスは、1929年に橋はコンクリートと鉄製で造られ、長さ1630m、幅12mあり、10の橋の柱で支えている。
ミズーリ州セントルイスの北端のミシシッピ川沿いの橋で、途中が22度曲がっているのが特徴があり非常に珍しい貴重な橋です。
22度の曲がりは、橋の直線では岩盤が桟橋の重さを支えるには不十分であった為途中から橋を曲げて造った。
エンジニアは橋の建設中に10人の死者を予測しましたが、死者1人の労働者に留まりました。
金額300万ドルの費用で有料橋として個人的に建設され、後に橋はイリノイ州マディソン市に転用された。
1930年代後半には、この橋とセントルイスの北部と西部周辺にバイパス・ルート66が開通され、1966年8月2日、通行料の徴収はミズーリ州によって廃止された。
1940年以降、ミネソタ州セントポールからニューオーリンズまでのミシシッピ川の船の航行経路2.7mが運行していたが、非常に危険地帯で航行経路を維持出来なく成っていた。
1940年代後半から1950年代初頭にかけて米軍陸軍工兵隊は、この危険な範囲を回避する為に、ミシシッピ川から高さ18m以上、長さ13.5kmの運河を建設しました。
第二次世界大戦中、チェーン・オブ・ロックス・ブリッジのカラフルな赤い色の橋は、空気から見えにくくする為に緑色で塗装された。
これらのコストを補填する為、マディソン市は橋の通行料を車1台につき35セント増やし、乗客1人につきさらに5セント徴収した。
1960年代エンジニア隊は、ロックオブチェーンをカバーする低水ダムを建設した。
現在、川の水量が少なくなった状況を除いて、チェーン・オブ・ロックスは殆ど見る事出来ません。
1865年セントルイスの水道事業の為に建設が開始され、1887年には橋の建設が始められ、1894年に橋が開設されミズーリ州とイリノイ州の交通の要所と成った。
1966年に歴史あるチェーン・ オブ・ ロック・ブリッジは老朽化が激しく、新しいチェーン・オブ・ロック・ブリッジがフリーウエー I-270を結ぶ為に北側に増設された。
その後、チェーン・オブ・ロックスは1970年2月25日に閉鎖された。
30年近く橋の運命は不確定で橋の解体が計画されたが、破壊のコストが高い為無期限に放置された。
1991年4月姉妹ジュリーとロビン・ケリーの殺害事件で大きなニュースにに成った。
1981年には、ニューヨークからの映画撮影のロケ地として使用された。
1998年この橋は、ローカルトレイルグループであるトレール・ネットに賃貸され運営され、歩行者用とサイクリング用にブリッジを改修するのに450万ドルが費やされている。
2011年2月、イリノイ州側のイースト橋の入り口は緑色に塗り替えられていますが、近い将来ブリッジの残りの部分が塗り直されるかどうかはわかりません。
セントルイス ミズーリ州
St. Louis Missouri
セントルイスは、アメリカのミズーリ州東部、ミシシッピ川とミズーリ川の合流点に位置する商工業都市、人口は約319294人の大都会。
セントルイスと言えば、シカゴブルース、ゲートウェイ・アーチ、野球のセントルイス・カージナルス。
イリノイ州イーストセントルイスと共に全米有数の犯罪都市としても有名で、イーストセントルイスには危険地帯のスラムがある、危険地域に入らなければ、治安はそこまで悪くはない。
又、家賃、公共交通費、水道光熱費、食費など、全米の大都市圏でも物価が安く、交通機関も整備され生活しやすい都市の一つにも挙げられている。
1764年にフランス人が毛皮の取引所を設け、ルイ9世の名からセント・ルイスと命名された。対岸のイーストセントルイス市と共に、ミズーリ、ミシシッピの水運を生かした水上交通拠点として発展した。
1874年にはイーズ橋が完成。1904年には万国博覧会が開催され、その併設イベントとしてアメリカ大陸で初めてセントルイスオリンピックが開催された。
鉄道網の発達により水運は衰退し1910年代にはシカゴと並ぶ鉄道のハブとして鉄道関連の産業が発達した。
1920年代以降の自動車の大衆化に合わせアメリカの東西を結ぶルート66とルート40の通過地となり、さらに自動車製造大手のクライスラーが主要工場を建設しデトロイトに次ぐ自動車工業都市として繁栄した。
1970年代以降に市街地老朽化と産業不振により治安、環境が悪化、急激な人口流出が始まった。
市は中心部の再開発に乗り出し、近年は都市圏全体での人口は回復基調にあるものの、依然として市街地の空洞化が問題と成っている。
ミシシッピ川
北アメリカ大陸を流れる河川の1つである。アメリカ合衆国のミネソタ州を源流とし、メキシコ湾へと注いでいる。
全長は3779kmで、アメリカ合衆国内においては一番長い川である。
かつては長らく世界最長の川と考えられていた。鉄道が敷かれるまでは、水運を担う重要な水路となっていた時期があり、蒸気船が航行する姿はアメリカ発展史における象徴的存在だった。
シュートー島の名前の由来
シュートー家 Chouteau
アメリカ,ミシシッピ以西の西部開拓に活躍した家系。
1764年のセントルイス建設以後の約1世紀の間にこの家系の一族は北部ロッキー山地から南西部砂漠地帯にいたる広大な地域に居住し、交通、商業、集落建設などに活躍した。
行き方と注意事項(地図を掲載していますが、ご自分で詳しく調べて下さい)
イリノイ州のI-270出口3A LewisとClark Blvdを南に走り、すぐにW. Chain of Rocks Rdを右折してください。
イリノイ州の駐車場をお勧めしますが、チェーン・ オブ・ ロックス・ブリッジは、かなり治安の大変悪い場所で夜間は絶対行ってはいけません。
チェーン・オブ・ロックス・ブリッジはの南にあるイースト・セントルイスは、全米屈指の治安の悪い地域があり、特に夜間は絶対行くべきではないです。