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草間彌生とルート66

 草間彌生
Yayoi Kusama

ルート66 ビバリーヒルズ

ルート66 ビバリーヒルズ

ロサンジェルスのビバリーヒルズにあるルート66サンタモニカブルバードに彼女の作品が飾られているHymn of Life Tulips

1929年3月22日日本の彫刻家画家、小説家。

長野県松本市生まれ絵画の画面や彫刻の表面のみならず見る者の視界を覆い尽くさんばかりの水玉模様のモチーフが特徴。

アメリカの雑誌「TIMES」は4月22日2016年 「世界で最も影響力のある100人」を発表し日本人では芸術家の草間彌生さんが選ばれた。

草間さんは水玉模様をモチーフにした前衛芸術で世界に知られている。

今年は草間彌生の年であったルイ・ヴィトンとのコラボレーションや世界中で開催されている回顧展しかし彼女は人生の大半の時間を精神病院で過ごしている。

統合失調症から芸術家に・・・ 少女時代より統合失調症を病み繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れる為にそれら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。

ジョージア・オキーフに憧れて

彼女は、戦後、地元の松本市内の古書店で「ジョージア・オキーフ」の絵が掲載されていた画集を見つけた事もアメリカ行きにつながったのです。

「この人が助けてくれるかも」と思い、東京のアメリカ大使館に行き住所を調べ、自分の水彩画などを入れて手紙を書いたのです。そうしたら激励する返事がきました。それが渡米を決意させる事にも成りました。

アンディ・ウォーホルにも影響を

1963年に、ニューヨークでの個展で「集積の一千のボート・ショー」と言うインスタレーションを行い無数の白い突起を大きなボートにびっしりとつけ天井や壁にはボートを写したモノクロのポスターを貼りました。

アンディ・ウォーホルがやって来て、「素晴らしい」と言ってくれました。その後、ウォーホルは、牛の顔を刷ったポスターを天井や壁一面に貼った個展をしたが私のまねだったのではないでしょうか、凄い方ですね !

アンディー ・ウオーホールとは?

1928年8月6日~1987年2月22日はアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの巨匠。

銀髪のカツラをトレードマーク、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。

ペンシルベニア州 ピッツバーグでスロバキアの移民の子として生まれる。

兄が二人おり、両親は敬虔なカトリック教徒で、彼自身も同様に育ち生涯を通じ教会へ通った。

体は虚弱で、肌は白く日光アレルギーであり、赤い鼻をしていた。早い時期から芸術の才能を発揮。

肉体労働者だった父は1942年、アンディが14歳の時に死去、その後は母のジュリア一人に育てられる。

アルバイトをして地元の高校に通い、カーネギー工科大学に進学し広告芸術を学び1949年に卒業。

マリリン・モンロー

マリリン・モンロー

作品

キャンベル・スープ缶、シャネル N°5やコカ・コーラ、アブソルート・ウォッカの瓶、ブリロ・ボックスなどの有名普及品

エルヴィス・プレスリー、エリザベス・テイラー、イングリッド・バーグマン、クリストファー・リーブ、公女カロリーヌ、ジミー・カーター、ジョン・F・ケネディ、ジャクリーン・ケネディ、トルーマン・カポーティ、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンロー、マーロン・ブランド、ミック・ジャガー、チェ・ゲバラ、毛沢東、モハメド・アリ、ウラジーミル・レーニン

キャラクター

ミッキーマウス、ミニーマウス。彼による肖像画は高額なギャランティーから当時の有名人らのステイタスとされ、多くの有名人が自分の姿のプリントを希望した。

ルート66

女流画家・ジョージ・オキーフ

ジョージア・オキーフ

1887年11月15日~1986年3月6日の生涯で20世紀のアメリカを代表する女性画家。
夫は写真家のアルフレッド・スティーグリッツデでサンタフェに拠点を構えサンタフェをこよなく愛した芸術家です。彼女は生涯、風景、花、動物の骨をテーマとして描き続けた。

彼女を一躍有名にした画面をいっぱい使った花の絵を描いた作品や、牛の頭蓋骨をアイコンに威厳を込めて描いた作品は世界的に有名です。

世界的にも抽象画を描きはじめたパイオニアの画家で、基本的には具象的モチーフにこだわりつつも、時おり抽象画も手がけ、生涯にわたって抽象への関心に情熱を傾けた。

あの有名なアーティスト草間彌生もジョージア・オキーフに影響を受けた日本人の一人です。草間彌生は、戦後、地元の松本市内の古書店で「ジョージア・オキーフ」の絵が掲載されていた画集を見つけた事もアメリカ行きにつながったのです。

「この人が助けてくれるかも」と思い、東京のアメリカ大使館に行き、住所を調べ、自分の水彩画などを入れて手紙を書いたのです。そうしたら激励する返事がきました。それが渡米を決意させる事にも成りましたと語っています。

ルート66

Route66 Santa fe New Mexico
ゴースト・ランチ

オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、父はアイルランド系、母はハンガリーからの移民で7人兄弟の2番目の子供で長女。

マディソンで高校時代を過ごした後にシカゴ美術館附属美術大学で絵画を学ぶ。更にニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学、ウィリアム・メリット・チェイスに師事し、ニューヨーク滞在中に将来の夫と成るアルフレッド・スティーグリッツに出会っている。

1908年にシカゴに戻りイラストレーターとして働いたが、1910年に病気が元で家族がいたバージニアに移る。一時、絵画から離れていたが、バージニア大学の夏期講座に出席し、アーサー・ウェスリ・ダウに出会った事がきっかけで再び描き始める。多くの旅を愛し、1960年に日本へも来ている。

1962年にはアメリカ芸術文学アカデミーの会員に選ばれ、回顧展も多く催された。ゴーストランチにアトリエと住居があり、ゴーストランチを拠点に活動し1986年、サンタフェにて98歳で亡くなる。

スティーグリッツの、花のクローズアップや、高層ビルの写真に影響を受けながら、独特の絵画を生み出した。花の写実的なイメージから、それを拡大し抽象化する。現実を神秘的な非現実にしてしまうという独自のスタイルを打ちたてた。

代表作

黒いアイリスIII 1926年 メトロポリタン美術館

街の夜  1926年 ミネアポリス美術研究所

抽象 第6番 1928年 愛知県美術館

赤・白・青 1931年 メトロポリタン美術館

雄羊の頭、白いタチアオイ、丘  1935年 ブルックリン美術館

骨盤とペダーナル山  1943年 マンソン・ウィリアムズ・プロクター美術研究所

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