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ルート66 オクラホマシティー

ルート66オクラホマシティー オクラホマ州
Route66 Oklahoma City

ルート66

ルート66 オクラホマ州

アメリカのオクラホマ州最大の都市で州都。OKCと略され、人口は約68万人、標高366m

オクラホマシティは1889年4月22日に「ランドラッシュ 未割り当ての土地」として西部開拓された。

一帯は肥沃な農地・牧草地が広がり、西部開拓時代に自営農地を求める約1万人の開拓民によって入植し、町は急速に成長した。人口は1890年から1900年の間に2倍になった。

1907年にオクラホマが連邦に加盟するまでに、オクラホマシティは新しい州の人口の中心および商業の中心地として、領土の首都であるガスリーを上回りました。

ルート66ラウンド・バーン アーケディア

ルート66オクラホマ

その後まもなく、首都はガスリーからオクラホマシティに移された。

オクラホマ郡の郊外は農村地帯で、世界最大の家畜市場、牧畜・肉加工などの畜産関連工場・綿花栽培発達した。

経済は、石油、天然ガス、石油製品、マリファナ栽培です。

1928年には油田が発見され、後に航空機・電器機械などの製造業も発展する。

ル―ト66

20世紀初頭のルート66の主要な宿場町、ルート66の要衝です。

ボビー・トゥループの1946年のジャズ曲「Get Your Kicks on Route66」で、アーティストのナット・キング・コールによって有名になった。

戦後の成長は州間高速道路システムの建設に伴い、オクラホマシティはI-35、I-40、およびI-44の収束として主要なインターチェンジになりました。現在でもハイウェイ網の重要なジャンクションとなっている。

ウィル・ロジャース・ワールド空港が中心となる空港で、全米主要都市からの便が出ている。なお同空港行の乗客が最も多いのはダラスで、次にデンバーである。


世界最大の家畜市場 ストックヤード  

第二次世界大戦前、オクラホマシティは主要なストックヤード(家畜市場)を開発し、以前はネブラスカ州シカゴとオマハでした。

オクラホマ州とテキサス州の北部一帯は、両州の境の形からパンハンドル(平なべのハンドル)地域と呼ばれ、肉用牛の一大生産・肥育地帯として世界的に有名である。 

オクラホマ・ナショナル・ストックヤードは、併設の食肉処理・加工場で処理される家畜の取引市場として1910年に開設された。

ルート66カヌート

ルート66カヌート

1961年のパッキング・プラントの閉鎖と同時に、それまで穀物倉庫として利用されていた建物が、オークション・アリーナ(競り場)として生まれ変わった。

カウボーイによって競り場に追われる子牛。市場開設日は毎週月・火の2日で、取引頭数は週平均で約1万頭。 

肉用牛の繁殖経営は全米各地に分布し、83万戸の農家で3340万頭の繁殖雌牛が飼養されているが、飼養頭数第1位のテキサス州(547万頭)と4位のオクラホマ州(191万頭)の両州の飼養頭数は、全米の約22%を占めている。

取引は、1回30頭前後の群競り方式で、1時間に700~800頭が売買される。

ルート66 オクラホマ州

ルート66 オクラホマ州

石油生産 
1859年、当時のオクラホマ準州のサリナの近くで塩の掘削の為の井戸で偶然に石油が発見されました。

1907年から1930年まで、オクラホマ州とカリフォルニア州は、米国の最大石油生産の州になりました。

1928年に市域内で石油が発見されたことで、オクラホマシティは石油生産の主要な中心地になりました。

オクラホマの石油生産は1927年に762,000バレル/日でピークに達し、2005年までに168,000バレル/日に減少しましたが、その後増加し始め2014年までに2倍以上の35万バレル/日となり、米国で5番目に高い州となりました。

地下水は天然ガスを含んでおり、そのガス中から得られるヘリウムは世界生産の大半を占める。

オクラホマ 農村地帯
豊かな草原が続き、西部では肉牛の放牧が盛んであり、北部では、トウモロコシ、大豆、小麦、綿花、テンサイ(ビート)などの主生産地である穀倉地帯となっている。

グレートプレーンズの東部は穀倉地帯となっている。西部は乾燥しており、企業的牧畜地帯となっている。

グレートプレーンズとプレーリー 
北アメリカ大陸の中西部、ロッキー山脈の東側と中央平原の間を南北に広がる台地状の大平原。

約1万年前の氷河侵食によって削られた五大湖沿岸の土壌が高気圧によって運ばれ、グレートプレーンズから中央平原にかけて堆積し、プレーリー土(肥沃な土)となった。

平均年間降水量が約890mmから250mm程度と、乾燥した地域で時折旱魃に見舞われる時があり、農家や牧場主の人達を悩ます時がある。

アメリカバイソンやプレーリードッグなどの野生動物が生息している。

グレートプレーンズの東部から中央平原の西部は、プレーリーという草原地帯になっている。地下にはオガララ帯水層がある。

怒りの葡萄 ジョン・スタインベック

怒りの葡萄 ジョン・スタインベック

ダストボウルと「怒りの葡萄」

大恐慌の最中の1931年に、ダストボウルと呼ばれる砂嵐がグレートプレーンズの南部で頻繁に生まれ、砂塵はしばしばニューヨークなど東部の都市に届くほどになりました。

干ばつに加え、未熟な農法が土質の劣化を招いたのが原因です。

1934年と1936年には、昨年並みの熱波が全米を襲い、干ばつとダストボウルもピークに達しました。各地で40度を超える気温を記録しています。

ノーベル賞受賞作家スタインベックの名作「怒りの葡萄」は、オクラホマ農民がダストボウルで耕作不能となった土地を差し押さえられ、生活の糧を求めてルート66をカリフォルニアに向かう物語です。

1940年に、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化されました。

涙の道 Trail of Tears
1838年にアメリカ合衆国のチェロキー族インディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動させられた。

この時、15000名いたチェロキー族のうち約4000名が途上で亡くなった。

チェロキー族の「涙の道」は、1830年の「インディアン移住法」の規定に基づいて署名されたニュー・エコタ条約の実践として起こった。

条約は東部のインディアンの土地とミシシッピ川以西の土地との交換を取り決めたものであったが、インディアンの選ばれた指導者達にもチェロキー族の大多数の人々にも受け入れられてはいなかった。

それにもかかわらず、条約は時のアメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンによって実行に移され、西部に出発する前に合衆国軍が17000名のチェロキー族インディアンを宿営地にかり集めた。

死者の多くはこの宿営地での病気で倒れた。



ルート66オーバーホルザーブリッジ
Lake Overholser Bridge

Oklahoma City, Oklahoma
オーバーホルザーブリッジは1924年に建設され、ジョンスタインベックの小説「怒りの葡萄」の舞台になりました。

オーバーホルザーブリッジは2008年から通行止めになってましたが、オクラホマ市が400万ドルの費用で修理し、再び通行できるようになっています。

ルート66オーバーホルザーブリッジ

ルート66オーバーホルザーブリッジ
Lake Overholser Bridge

Oklahoma City, Oklahoma

Lake Overholser Bridge Route 66
8703-8709 Overholser Dr, Bethany, OK 73008

ミルクボトルグロサリー オクラホマシティ

ミルクボトルグロサリー オクラホマシティ オクラホマ州
Milk Bottle Grocery in Oklahoma City, Oklahoma
オクラホマシティのクラッセン・ブルバードにある、グリッドを斜めに横切るエリアの角地にある、オクラホマシティでも数少ない三角形の建物の1つです。

ミルク・ボトル・グロサリーは、屋根の上に大きな金属製のブラムの牛乳瓶がある食料品店です。店舗は1930年に建設され、1948年に店の注目を集めるようにサインが設計された。

1998年3月5日に国家歴史登録財に登録された。



Milk Bottle Grocery Oklahoma City, Oklahoma
2426 N Classen Blvd, Oklahoma City, OK 73106

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