ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説、ルート66の全てがここにある

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ゲーリー・パリータ・シンクレア・ステーション

ゲイ・パリータ・シンクレア・ステーション

ゲイ・パリータ・シンクレア・ステーション
ゲリー・ターナー

ルート66  ゲーリー・ターナー
ゲーリー・パリータ・シンクレア・ステーション  パリススプリング Gay Parita Sinclair Station  Paris Springs

パリスプリングス・ジャンクションの歴史
元々パリス・プリングス・ジャンクションは、ミズーリ州のローレンス郡は属していない田舎町。ホールタウンの西約6kmには旧ルート66が走っていた(今は、郡の道路ルート266とルート96の交差点に成っている)。

パリスプリングスは、 1855年に設立されノース・パリスプリングスと命名された。1850年代、クローバー川は、J.R.ジョンソン製粉所電力源に使用され小麦粉を生産していた。

ジョンソン製材所、毛織物工場、デイビスの椅子の工場が出来、1880年代には、O.P.ジョンソンはスプリングスで郵便局長に就任した。1900年代初頭には、湧水は鉄分が豊富で人気のリゾート地として賑わった。

ゲリー・パリータ・シンクレア・ステーション

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ゲリー・ターナー

ルート66 ゲーリー・パリータ・シンクレア・ステーション 
1930年~1955年までガスステーションはフレッドとゲイ・メイソンが、営業していたが1955年にガス・ステーションは火災に見舞われた。2006年に約2000エーカーの「ゲーリー・パリータ・シンクレア・ステーション 」をゲリー氏と妻レナが購入しルート66の保存の為の博物館として再生した。

ゲーリー・ターナーは日の出から日没までルート66に訪れる人達に話しかけ、心のこもったホスピタリティーでルート66の歴史等を伝えてきました。多くの方は15分ぐらい停車して・・・そんな気持ちで訪れますが、話に夢中に成り気が付いたら2時間、3時間時が過ぎていた事も決して珍しくなかったそうです。

ルート66名物男 ゲーリー・ターナー(Gary Turner)
1944年2月3日にゲーリー・ターナーに生まれ、妻レナと2人の息子と2人の娘がいる。

ゲーリーは、1960年代にカリフォルニアに移り住んで有名なナッツベリーファームで銀行強盗役のス

ゲイ・パリータ・シンクレア・ステーション

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ティントマンやセメントトラック運転手、中古車販売店の仕事をした。1970年代後半にミズーリ州オザークに戻り、ゲリーは、食料品関連の仕事、トラックの運転手の仕事をしていた。

その後退職し、ミズーリ州、ローレンス郡のスプリングフィールドのパリス・プリングスのルート66ゲーリー・パリタ・サービスステーションを引き継ぎました。

ゲリー・ターナーは2012年に脳卒中で病に伏し長い間、病院で病と闘ってきましたが、2015年1月木曜日の夜、残念ながらゲーリー・ターナーさんは亡く成られました。

ルート66・シンクレア・ステーションの後継者
ルート66上で最も多くの旅人に愛された一人、ゲーリー・ターナー が2015年1月70歳で亡く成った後、空き巣や自然災害による荒廃に悩まされて来たが、ミズーリ州ホールタウン、通称「ゲーリー・パリタ・ガス・ステーション」が、ゲーリーの娘バーバラの手により意思を継ぎ再開している。

Daughter revives Gary Turner’s Gay Parita station

Web: garygayparita.com
Gay Parita Sinclair Station: 21498 Missouri 266 Everton, MO 65646

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