ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説、ルート66の全てがここにある

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ルート66 サンタモニカ

ルート66

ルート66のゴール
サンタモニカ

ルート66 サンタモニカ
サンタモニカの桟橋沿いのPalisades Parkにはウイルロジャース・ハイウエーの記念碑がある。

サンタモニカの桟橋には「End of the Trail」のサインがあり、映画「ホーレスト・ガンプ」や映画に出てきた古い観覧車があり、数多くの映画のロケ地でもあります。

流石ハリウッドですね。夕方に沈む夕日は、哀愁がありまさにルート66の象徴です。

ルート66に散った、孤独のロッカー
 「自由とは何も持たないことよ」ジャニス・ジョプリン

史上最高のシンガー、ジャニス・ジョプリン。ロック界の女性スーパースター。これからも彼女を越えるシンガーは現れないだろう・・・

トルバドール

トルバドール

南部テキサス州ポート・アーサーに生まれ。内向的なジャニスは高校生時代、男子達が悪ノリでやった不美人コンテストで1位にされ、心がズタズタに・・・

17歳で家出し、全米をを放浪、ブルース魂が注入されていく。体の中に蓄積した彼女は、心の悲しみを歌で叫ぶと楽に成る事を知る。

あるバーで歌い始めるとスカウトされ、1967年6月のモンタレー・ホップ・フェスティバルに24歳で出演した。

大地が裂けるような「ボール・アンド・チェーン」を熱唱し、圧倒的な歌唱力と共に、髪を振り乱し、魂をさらけ出して、正面からぶつかって来る彼女は、人々の度肝を抜いた。

1968年、アルバム『チープ・スリル』でレコード・デビュー、いきなりミリオンセラーに成る。

ルート66

ル―ト66 サンタモニカ

サザン・カンフォート(南部の歓び)は、伝説的なロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンがこよなく愛したお酒で、彼女のステージには、何時も、マルボロの煙草とサザン・カンフォートあった。

全エネルギーを聴衆に叩きつけ、一気にスターダムを駆け上がったジョプリンは、あまりに繊細過ぎる心を持っていた為に、ドラッグに溺れてしまう。

ジャニスは泊まっていた「ランドマーク・モーテル」に変える前、いつものように「バーニーズ・ビーナリー」に立ち寄った。レコーディング中もスタジオで飲んでいたのだが、そこのカウンターで2杯の酒を飲み、その後ホテルに戻る・・・

1970年10月4日、ヘロインを打ちすぎた彼女は手に$4.50を握り締め、ロサンジェルス、ハリウッドにある、ランドマーク・モーテルでベッドから落ちたまま死んでいた。享年27歳、レコード・デビューからまだ2年しか経っていなかった・・・

ジョージアンホテル サンタモニカ

ジョージアンホテル サンタモニカ

ジョージアンホテル 「サンタモニカのファーストレディー」

ルート66の旅の終着地にカリフォルニア州 にある、ザ・ジョージアンホテル サンタモニカは、ロサンゼルスの高層社会を魅了する親密な隠れ家として1933年に設計されました。

当ホテルが開発された当時、サンタモニカの小さな海辺のコミュニティの森に囲まれていました。大胆で進歩的な起業家であるハリー・J・ボルドの夢は、Eugene Durfeeに1933年に豊かで有名な芸術家に門戸を開くアールデコ様式の豪華なリゾートを建設することでした。

ジョージアンホテルには、飾られた葉やホタテ貝殻などのアールデコ様式のモチーフが飾られ、多くのローリリーフのプラスターワークパネルがあります。これらのプラスターワーク要素には、より角張った形の優雅なスクロールを組み合わせた装飾的な金属パネルが散在しています。

ザ・ジョージアンホテルは1933年に創業。1920年代から1930年代にかけてのカリフォルニアの海岸拡大のピーク時代に建てられた歴史あるホテルは、弁護士と裁判官、ハリー・J・ボルドの夢でした。

ロマネスク様式のリバイバルとアールデコ様式の建築のホテルは、オーシャンアベニュー出来た最初の高層ビルの1つで、ハリウッドのエリートがバレーの暑さから逃れるためにビーチに集まり始めジョージアの人気が高まった。

ウィンダミアがホテルをオープンし、ボルダーの母親、ロザモンド・ボルドに敬意を表し「ザ・レディ」と呼ばれた。

時が経つにつれ、サンタモニカのホテルの地下のレストランは大きな注目を集めた。禁止時代の最後の要塞の1つは、バクジー・シーゲル、クラークゲーブルキャロル・ロンバード他数多くの映画スターと業界等のスピーク・イージーと成った。  

スピーク・イージーとは?
アメリカの禁酒法時代にもぐり営業をしていた酒場のこと。「こっそりと酒を注文する」、というのがこの名称の語源です。禁酒法時代後半の1929年、ニューヨークには約32000軒のスピー・クイージーがありました。禁酒法廃止前年の1932年には、全米に22万軒近くあったといいます。

多くは、洋服屋、床屋、薬局、さらには葬儀屋の奥の一室で営業したり、覗き穴つきの地下室で営業していました。ニューヨークの高級レストラン・バーとして今も健在の「21クラブ」(マンハッタン52丁目)の地下の酒蔵(セラー)は、そうしたスピーク・イージーの超高級店でした。現在もこの店を訪れると、もぐり酒場時代の隠し扉を名残りとして見ることができます。

1940年代から1950年代にかけて、サンタモニカはドナルド・ダグラス航空機工場が率いる技術的および産業的ブームを起こしました。

ダグラス・エアークラフトのお客や航空機の設計者、第二次世界大戦中の兵士は、サンタモニカ湾の海岸から数キロ先にあるカジノ船に乗って夕方を過ごすためにモーターボートを沖合に持っていくギャンブルを楽しんだ。

1960年代後半には、ジョージアンは現代的な高級マンションの住居として改装された。

歴史あるビーチフロントのホテルは様々な役割を果たしてきました。 アメリカのAリスターのための排他的なエスケープから、グローバルエリートのための落ち着いたオアシスまで、ジョージアンはそれ自体、味とクラスの差別的なホストであることが証明されています。

今日では、数百万ドルの改装工事を経て、ザジョージアンは魅力とホスピタリティを公式かつ独特のLAのランドマークとして保持しています。

魅力と優雅さが揃ったザ・ジョージアンホテルは、サンタモニカにあり、世界各地から旅行者を集めて、独占性と古典的なハリウッドの雰囲気を味わうことを目指しています。

The Georgian Hotel
建築家: M. Eugene Durfee
建設: 1931 年
1415 Ocean Avenue
Santa Monica, CA 90401

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