ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説、ルート66の全てがここにある

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ルート66 ニードルス

ルート66ニードルス

ルート66ニードルス

ルート66 ニードルス カリフォルニア州
Needles California
カリフォルニア州のサンバーナーディーノ郡、アリゾナ州、ネバダ州の州境のモハベ砂漠に位置しコロラド川が流れている。約人口4800人。ラスベガスから約180km、州間高速道路40号とUSルート95号のジャンクションが交差している。アメリカ大陸横断ハイウエー・ルート66の 「最後の州の最初の町」、モハベ国立保護区への入り口の砂漠地帯で夏場は40度以上あり暑い!

ニードルスの名前
ニードルスの名前の由来は、トパック町の南東約5kmのモハベ山脈にある、ピナクル火山の山頂の尖った岩が「針」のようで名付けられた。

モハベ族のインディアン・コミュニティーは、フォート・モハベ・インディアン居留地区と町を共有している。

モハベ・インディアン部族はコロラド川の谷に、最後の氷河期が終わりから10000年以上前からこの地に住み、モハベ・トレイルを使い沿岸部のカリフォルニアの部族交易していた。

モハべ・インディアンは、Aha,Makhavと自分達を呼び、彼らの名前は、二つの単語のmakhavha「沿って」とAhaは「川」を意味し「川沿いに住んでいる人」という意味。モハベ族は現在は、パークスダムの南側に住んでいます。

ルート66ニードル

ルート66ニードル

ニードルスの歴史
フランシスコ会の宣教師フランシスコ・ガルシアは、モハベ・インディアンの地を訪れ、1776年に開拓の為の報告した最初のヨーロッパ人であった。

メキシコは、1821年にスペインから独立した後、1846年~1848年の戦争で敗北した後、その土地を米国に奪われた。

1829年から1848年にかけて西部を目指す開拓者は、ニューメキシコと南カリフォルニアのオールド・スパニッシュ・トレイルが主要ルートであった。

アメリカ政府はこの地域を探索する為に、1851年に士官であり、土木技術者でロレンゾ・シットグリーブスを派遣し、1853年〜1854年には、アミエル・ウイーク・ウイップルとジョセフC. アイベス中尉によって第35パラレルに沿って太平洋鉄道を調査させた。両グループはニードルスを通過してた。

ルート66 デバンポート オクラホマ州

ルート66 デバンポート オクラホマ州

エドワード「ネッド」フィッツジェラルド・ビアレ隊も、1857年にワゴン・ルートを調査し、旅の途中でニードルスの北を通過した。

1859年にモハベ砦は、カリフォルニア州やモハビからの旅行者や開拓者の移民を保護する為に軍が建設し、1883年に町が設立された。

アチソン・トピーカ・サンタフェ鉄道は、アトランティック&パシフィック鉄道のカリフォルニアへの進出を阻止する為に、バーストーからモハベのニードルスまでラインを敷設しました。

1882年、アトランティック&パシフィック鉄道は1882年アリゾナを越えた後、1897年にアチソン・トピーカ・サンタフェ鉄道に吸収され、カホンガ・パスを経てサンバーナーディノとロサンジェルスの太平洋沿岸に達している。

1883年2月18日 コロラド川の最初の橋をアリゾナ側に建設し、鉄道駅として確立した。トパック橋は1890年5月に完成した。

ルート66

ルート66 怒りの葡萄

元々はテントの町だったが、鉄道建設作業員の為のホテル、車の倉庫、商店、大邸宅を建てた。町は、新聞スタンド、レストラン、9~10軒の酒場サルーンがあった。

町はアリゾナ州ユマの上流にある最大の港に成り、フレッド・ハービー・カンパニーは1908年にエレガントなボザールスタイルのエル・ガルセス・ホテルとサンタフェ駅を建設しました。

フレッド・ハービーの「王冠の宝石」と言われ、建物は国立史跡に登録され復元された。

ニードルスは、1920年代から1960年代までの歴史的なルート66ハイウェイの大きな宿場で1930年代は、ダスト·ボウルを避ける為、中西部から移民達がコロラド川を渡りカリフォルニア州の最初の町だった。

1910年代初めに国立旧道道路が議論されていた。ニードルズは、モハベ郡の町を通って道路を建設する為にロビー活動を行った。1912年には彼らの努力に成功し、コロラド川をさらに南に横断してトパックにつながった。

ルート66ニードルス

ルート66ニードルス

ニードルスの町は1913年に設立され、1959年に都市に昇格に成った。

1920年代にニードルにはハービー・ハウス、ガレージ、レストラン、キャンプ場があり、1926年にはルート66が国立旧道道路ハイウェイに沿って整備された。

ニードルスの近くに戦争囚人収容所があり、第二次世界大戦中に米国最大の砂漠訓練センターが北アフリカキャンペーンの為の訓練を受けた軍隊があった。

名作映画のロケ地
映画「イジーライダー」の冒頭のシーンでカリフォルニア州からアリゾナ州に入る時にニードルスが登場する。映画「 怒りの葡萄」でジョードファミリーが、アリゾナ州からカリフォルニア州に入った時のカーティー・キャンプがあった場所で数多くの映画のロケ地に成っている。

スタインベックの小説「怒りの葡萄」は、ヘンリー・フォンダ主演で映画化された。オクラホマからやって来たトム・ジョード・ファミリーが、 広告の絵葉書にあったようなオレンジや葡萄が実り、やしの木がおい茂ると期待していた約束の地がカリフォルニア州だった・・・・

1949年にフーバーダムが完成し水害が収まり、コロラド川は大量の水を供給し経済を発展させた。

ルート66ニードルとスヌピー

ルート66ニードルとスヌピー

スヌーピーとルート66ニードルス
ニードルスは、ルート66と鉄道の町でルート66の道とサンタフェ鉄道の停留所の両方が出来た事により町は繁栄しました。

1908年に設立されたレストランエル・ガルセス・ハービー・ハウスには鉄道の駅があり、ランチカウンターやレストランの正式なレストランで温かい食事とサービスを提供していた。

カリフォルニア州とアリゾナ州の州境にある砂漠の町ニードルズは、1928年~1930年にシュルツ家が住んでいた。カリフォルニア州ニードルにあるスパイクの住居は、シュルツ家がそこに住んでいた数年(1928年〜1930年)の影響を受けた。

シュルツ家のミネソタ州からニードルズへの移住は、ハルバーソン家のデナの親戚に、この砂漠のコミュニティに沢山のチャンスがある事を勧められた。

ルート66ニードルとスヌピー

ルート66ニードルとスヌピー

数年後、チャールズ・シュルツは、ハルバーソン家の西への移動の最初の理由は、結核を患った若いいとこの健康を改善する事だったと語った。この時代、医師はこのタイプの健康状態を助ける為に砂漠の気候を推薦していた。

ニードルスに住んでいた時から45年後、チャールズ・シュルツはスヌーピーの兄弟であるスパイクの人生と冒険を通してピーナッツに経験の一部を取り入れた。

スパイクは砂漠で一人で暮らし、コヨーテと友達を作ったり、サグアロサボテンと会話したり、時にはクリスマスツリーとして役立つようにサボテンを飾る事さえあった。

カルティーズキャンプ Needles Shell Carty’s Camp Station Carty’s Camp
サービスステーションは1925年頃に建てられ、ルート66を旅する者にとって人気のキャビンコートであった。カルティーズキャンプは「キャビン、シェード、食料品やその他の物資が豊富な店、オイルステーション、車の修理のカレージを備えていた。

怒りの葡萄 ジョン・スタインベック

怒りの葡萄 ジョン・スタインベック

トム・ジョードがネバダ州とカリフォルニア州の境界線を通過する、1940年の映画「怒りの葡萄 」にも川の入浴のシーンや「ウェルカム・トゥ・ニードル」のサインで登します。

ヘンリー・フォンダ = トム・ジョード 映画「怒りの葡萄」
原作を読んで深く感銘したフォンダは、どうしてもトム・ジョード役をやりたいと熱望し、そのようなフォンダに対してザナックはトム・ジョード役を餌に7年もの長期契約を提示した。フォンダは長期間縛られることを嫌っていたが、トム・ジョードを演じるという目的のために7年契約を受け入れた。

その結果、映画の影響もあり、フォンダはアメリカを代表するタフ・ガイとみなされるようになったが、反面でスタジオに長期契約で縛られ、俳優として脂の乗った時期を不本意に過ごさざるを得なくなった。

1940年代、車社会に成りルート66を利用する旅人が増えた。 1947年、キッチン、エアコン、古典的なネオンサインが完備された66モーテルが建設された。 モーテルの人気が高まるにつれて、カルティーズキャンプのキャンプは縮小しました。古いサービスステーションと古いキャビンコートは閉鎖された。

「 ランチ、ホット・コールド・ドリンクと食料品 」ガス、潤滑油、電池を促進する平らな箱形のキャノピーがありました。古いキャノピーと同様にポンプの古いコンクリート基礎がまだ残っている。
Address 201 E Broadway St.

ルート66ニードル

ルート66ニードル

ルート66モーテル Route66 Motel
ルート66モーテルは、1946年~1947年に設立、ニードルのスルティーズキャンプの前に建てられました。独立した6部屋、ネオンサイン、エアコン、テレビ、簡易キッチンを備えた最新のモーテルでカリフォルニア州のルート66を旅する者にとって人気のモーテルでした。ルティーズキャンプの前に建設された。

1970年代の州間高速道路I-40が開通しモーテルは衰退し、1990年代からシングルルームのアパートとして利用されている。

2012年、Route 66 Worldのエド・クレインが、プライベートな約3000ドルの資金を調達し歴史的なモーテルのネオンサインの修理した。緑色の66と赤色のモーテルは、2012年6月23日の夜、歴史的ネオンは再点した。
Address Desnok and East Broadway St.

ルート66ニードル

ルート66ニードル カリフォルニア州

ニードルスのウエルカム・ボラックスワゴン Borax Wagon that welcomes
有名な 「Welcome to Needles」ワゴンは、元々、廃止されたエル・ランチョ・モーテルの内装の一部でした。1880年代にデス・バレーで採掘されたホウ砂を鉄道まで移動させるために使われた「ホウ砂車ワゴン」で、18匹の馬と2匹の馬のチームで引っ張られた。

ワゴンホイールレストラン Wagon Wheel Restaurant
金曜の夜は、スペシャルで食べ放題のフィッシュ・チップがある。
2420 Needles Hwy 760 / 326-4305

route66oudam.com

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americadaishizen.com

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