ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説、ルート66の全てがここにある

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ルート66 バーストー

ルート66

ル―ト66バーストー

ルート66 バーストー Barstow
東カリフォルニア州のモハベ砂漠にある都市で1880年銀山の開発によって建設された人口は約23000万人のルート66の宿場町。

バーストーの町は、ウォーターマンと呼ばれたが、後にサンタフェ鉄道会社の社長 W.バーストー・ストロングにちなんで名づけられた。

1940年代頃から砂漠の農業開発の事業所などが建設され町も発展した。現在も灌漑農業と鉱業が主な産業でメノウ、ジャスパー、銅、塩採取されている。

「灌漑(かんがい)とは、農地に外部から人工的に水を供給し、農作物の増産、乾燥地帯や乾期の土壌で緑化する際などに利用される事」

BNSF鉄道の大型拠点の町でもあるユニオンパシフィック鉄道は、BNSFのメインラインのダゲットの路線権を利用してソルトレイクシティからBNSFシカゴに向かう列車が東16kmに走っている。

ルート66

ル―ト66 カリフォルニア州

バーストーの歴史
2000年以上前、モハベ砂漠はモハベの大部分を覆っていた巨大な湖にインディアンが住んでいた。

西部開拓者は、ニューメキシコ州、ユタ州から西部のカリフォルニアへ行く際にサンタフェのオールド・スパニッシュ・トレイルを使い、1848年以降ソルトレークシティのモルモン・トレールを使った。

1859年、モハベ・ロードは、ロサンゼルスからモハベ砦までビール・ワゴンロードを使い、ニューメキシコ州のサンタフェに戻った。

1860年、パイユート族、モハベ族、チェビーノ部族のインディアンのトラブルが続き、バーストーの東に米軍が1871年までこの地域を警護していた。インディアンとの戦争の終結後に、モハベ砂漠にゴールドや銀の採掘する鉱夫たちが増加した。

ゴールドラッシュ

ゴールドラッシュ

ゴーストタウン キャリコ
1881年、北東に山岳地帯を狙う4人の洞察者が、グレイプバイン駅は、現在のカリフォルニア州バーストー を出発した。

4人の探鉱者は山で銀を発見し、1880年代半ばにカリフォルニア最大の銀生産者であった銀鉱山を開業した。

郵便局は1882年の初めに設立され、キャリコ・プリントが出版を開始した。町はすぐに3つのホテル、5つの一般店、食肉市場、バー、売春宿、3つのレストランと寄宿舎を支えた。

町には副保安官と2人の司令官、2人の弁護士と5人の委員長、人の医師もいた。ウェルズファーゴの事務所と電話と電信サービスもあった。

1883年~1885年、銀生産の採掘の高さでキャリコは、500以上の鉱山と1200人の人口に増加していた。又ブートヒル墓地には、地元の荒くれ者が埋葬された。

町の定住後数年後にカリコ山脈でホウ酸塩ミネラル・コルーマナイトが発見された事でキャリコの財政を助けた。

ルート66ラドロー

ルート66ラドロー

1890年、人口が増加し中国、イングランド、アイルランド、ギリシャ、フランス、オランダ、アメリカ人等3500人がいたが、1890年銀購入法が制定され銀の価格が暴落した。

1896年までに、価値はトロイオンス当たり 0.57ドルに値段が下がり、キャリコの銀鉱山はもはや経済的に成り立たなく成った。郵便局は1898年に廃止され学校は閉され、キャリコ鉱山はゴーストタウン化した。

1907年にこの地域でボラックス(ホウ砂)採掘が終わると町は完全に放棄され、人と建物の多くはバストー、デジット、ヨーモに移された 。

1915年、町を復活させる試みは、未処理のシルバーキング鉱山の鉱床から銀を回収する為にシアン化物工場が建設された。

ルート66バーストー

ルート66バーストー

ナッツベリーファームの創始者である、ウォルターナッツと彼の妻コーデリアは、ニューベリー・スプリングスで 栽培を始めた。ナッツは植物用のレッドウッド使った木製のタンクの建設を手助けた。

ウォルター・ナットは1951年代にキャリコの鉱山跡を購入し、古い写真を参照しながら1880年代の5つの建物を復元し、1966年にサンバーナディーノ郡にキャリコの町を寄贈した。

キャリコ・ゴーストタウンは、1962年11月カリフォルニアの歴史的ランドマーク #782に登録された。

2002年には郡の公式のゴーストタウンとして認知され、2005年には、国家上院と州議会は、ボディーをゴールドラッシュ・ゴーストタウンとして、キャリコをオフィシャルステートシルバーラッシュゴーストタウンリストアップした。

ル―ト66

ル―ト66

大陸横断鉄道の駅貨物列車のターミナル
サンタフェ道が敷かれた1888年に開かれたが、それより随分前に銀の採掘場が発見されゴールドラッシュに湧いた町。

I-15号線でのラスべガスとロサンジェルスの中間地点であり、西へ行くI-58号線の分岐点の町である。大陸横断鉄道も通る交通の要となる町。

銀が取れなくなっても町は生き延びた。町には沢山のの古い建物や壁画もあり当時の繁栄振りがわかる。
Casa Del Desierto 681 N. First Avenue Barstow

Casa Del Desierto」の名前で知られるが、列車の駅名は「ハービーハウス・レイルロード・デポ」がある。

トペカとハービーカンパニーによって建てられた、4番目のハービーハウスで歴史的建物。ザ・ナショナル・レジスター・オブ・ヒストリック・プレスにも登録されている

海兵隊物流基地バーストーの本拠地でフォートアーウィン国立トレーニングセンターの施設がある。 

ルート66バーストー

ルート66バーストー

Casa Del Disierto」とは「砂漠の家」と言う意味。
鉄道旅行が人気と成り、1911年にザ・ハービーカンパニーが建てたホテル。

美しい器に豪華な料理とハービーガールのおもてなしで、地元住民や旅行者に大人気と成った。その後今の場所の土地を買い Main St.を作り1925年、駅とホテルを移した。

その後、車で旅をする時代到来よりに多くの方が宿場町とし利用した。今のルート66がMain St.となった為に駅もホテルも次第に寂れ、1980年代には取り壊しの案まで出たが抗議が殺到した。

一部は壊されたが、1999年に改修が終わり今の形で残されている。今はグレーハンドやアムトラックの駅として利用しマザーロード博物館とウエスタン・アメリカン・レイルロード博物館がある。

バーストー・マザーロード・ミュジアム Western America Railroad Museum
バーストー・ステーション 鉄道の客車を使って作られたショップと古いの写真のコレクションがある。
Adderss 685 N 1st Ave, Barstow, CA 92311


エルランチョ・モーテル
マリリン・モンローも度々泊まった古い由緒あるモーテル。今はモテルとしての営業はしておらず、アパートとして部屋を貸しているが私設の ミュージアムがある。

100 E. Main St. Barstow 1943年〜

ルート66モテル 
バーストーでは世界的に有名なモーテルで世界各地の雑誌などで紹介されている。広い駐車場や庭にアメリカのクラッシックカーが展示してある。当時ルート66を思わせるコレクションが充実されている。
195 W. Main St. Barstow 1920年代〜

route66oudam.com

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