ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説

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ルート66 アンボイ

ルート66 アンボイ

ルート66アンボイ

ルート66アンボイ

モハベ 砂漠の中の町で、元々鉄道が通る前は鉱山の町で1858 年に町は出来き名前が無く1883 年までは、町として認められてなかった。

アトランティック&パシフィック・レイルロードのエンジニアだった ルース・キング が、モハベ砂漠を横断する鉄道の駅の名前をアルファベット順に付け、最初の駅がここ アンボイと成った。

1926 年、ルート66が開通するや町は、ブームとなり交通量も多く成り、1938 年、ロイズ&カフェが ル―ト66沿いにオープン。

アリゾナ州 の キングマンと カリフォルニア州の バーストー の間を走っているサンタフェ鉄道の停車駅と成り1940 年代までは人口も増え、観光客も増えたが、大恐慌と第二次世界大戦で観光客は激減した。

1973 年のバイパス I-40 の開通までは、町はどうにか持ちこたえたが、町から離れた所にバイパスが出来た為、後更に衰退した。

ルート66アンボイ

ルート66アンボイ

今では寂れた空港修理工場カフェ学校教会墓地火山の噴火口と閉鎖した郵便局だけが残るゴーストタウンに成り、ルート66沿いの「ロイズ・カフェだけが唯一目立つ存在の町と成っている。

ロイズ・カフェ 87520 US Highway 66, CA

1938 年 Roy Crowl が ルート66沿いに開業。1940 年代に義理の弟 Herman Buster Burris と組んでビジネスを拡大し「ローズ&カフェ をオープンした。

第二次世界大戦後は車での旅がブームとなり、ロイズも繁盛。50 年代、巨大なネオンサインや新しくMid-Century Modern Style のモーテルをも建てたが1972 年バイパス I-40 が開通すると、町は衰退し、ロイズも客足が激減。ロイも1977 年に亡くなたが、バスターは ロイズ・カフを続けた。

1995年、NYの有名な写真家 テモテ・ホワイトが アンボイの町とロイズを借り、2000 年に購入。Buster は91歳で亡くなった。ホワイト は高校時代の友達 ウイルソンと共に ロイズを経営したが、不人

アルバート・オクラ

アルバート・オクラ

気で売りに出したが買い手が付かず、担保権が流れて・・・

2005年2月に、ロイの再開を約束したフアン・ポッロのレストランチェーンの所有者アルバート・大倉、現金で$425000を提供し所有し、1950年のルック&フィールでアンボイを保存し、元の栄光の場所に復元しいる。

日系人の大倉氏はカリフォルニア州のサンバーナーディーノでマクドナルド一号店のレストランを所有し、博物館運営している。

モハーベ砂漠にあるルート66アンボイの町は、ロイは砂漠のガスステーションで数多くの映画、PVのロケ地に使用されている

アンボイ・スクール
ロイズ・カフェの隣にに昔の学校の廃墟が残っている。最盛期には学校が出来るくらい子ども達もいたが、1999 年に閉鎖され、今はフェンスが張られている。

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