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ジャニス・ジョプリンとルート66

孤独のロッカーとルート66
Janis Joplin

ジャニス・ジョプリン

ジャニス・ジョプリン

ルート66はアメリカ文化の根でありアメリカの光と影の象徴である。サンタモニカの桟橋沿いのPalisades Parkにウイルロジャース・ハイウエーの記念碑がありサンタモニカの桟橋には「End of the Trail」のサインがある。

映画「ホーレスト・ガンプ」や数多くの映画のロケ地でもある。

ルート66に散った、孤独のロッカー ジャニス・ジョプリンJanis Joplin 1月19日1943年~10月4日1970年

「自由とは何も持たないことよ」

史上最高のシンガー、ジャニス・ジョプリンは、ロック界の女性スーパースター。
これからも彼女を越えるシンガーは現れないだろう・・・

南部テキサス州ポート・アーサーに生まれ。内向的なジャニスは高校生時代、男子達が悪ノリでやった不美人コンテストで1位にされ、心がズタズタに・・・

17歳で家出し、全米をを放浪、ブルース魂が注入されていく。体の中に蓄積した彼女は、心の悲しみを歌で叫ぶと楽に成る事を知る。

あるバーで歌い始めるとスカウトされ、1967年6月のモンタレー・ホップ・フェスティバルに24歳で出演。

ジャニス・ジョプリン

ジャニス・ジョプリン

ルート66 ジャニース・ジョップリンがこよなく愛したバーで大地が裂けるような「ボール・アンド・チェーン」を熱唱し、圧倒的な歌唱力と共に、髪を振り乱し、魂をさらけ出して、正面からぶつかって来る彼女は、人々の度肝を抜いた。

1968年、アルバム『チープ・スリル』でレコード・デビュー、いきなりミリオンセラーに成る。

サザン・カンフォート(南部の歓び)は、伝説的なロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンがこよなく愛したお酒で、彼女のステージには、何時も、マルボロの煙草とサザン・カンフォートあった。

ジャニス・ジョプリンJ

ジャニス・ジョプリン

全エネルギーを聴衆に叩きつけ、一気にスターダムを駆け上がったジョプリンは、あまりに繊細過ぎる心を持っていた為にドラッグに溺れてしまう。

アルバム「パール」のレコーディングをサンセットサウンドで行っていた。レコーディング中スタジオで飲んでいた・・・

ジャニスは泊まっていた「ランドマーク・モーテル」に変える前、いつものようにジャニース・ジョップリンがこよなく愛したバー「バーニーズ・ビーナリー」に立ち寄る。そこのカウンターで2杯の酒を飲み、その後ホテルに戻る・・・

1970年10月4日 ヘロインを打ちすぎた彼女は手に$4.50を握り締め、ロサンジェルス、ハリウッドにある、ランドマーク・モーテルでベッドから落ちたまま死んでいた。享年27歳、レコード・デビューからまだ2年しか経っていなかった・・・

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