ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説

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ルート66 オクラホマ・シティー

ルート66

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ルート66 オクラホマ・シティー オクラホマ州

オクラホマ州の州都で、州最大の街
原油、天然ガスなどの埋蔵量が豊かな地域で、国の中西部の重要拠点でもあり、昔から今に至るまで繁栄し続けている街。

19 世紀に西部開拓が始まった時、この地のインデイアンは追い出され、その後の 1889 年に正式に オクラホマ・シティー が出来、その時にはもう5万人もが州境に住んでいたが、1899 年にアメリカ政府が白人の入植を許可してからは歴史的な「ランド・ラッシュ」と成る。

急激に増える移住者の為のライフラインの整備が進み、生活物資供給の為に四方から鉄道が敷かれ、オクラホマ・シティー は徐々に国の重要拠点として機能するように成る。

怒りの葡萄 ジョン・スタインベック

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オクラホマが合衆国の州にとなった 1907 年までには、それまでの経済のハブ、地域の中心だった Guthrie を抜いたので1910 年には州都がGuthrieからオクラホマ・シティー へと移った。

そして 1926 年、ルート666が開通するや、ますます発展していく。第二次世界大戦以前、街は シカゴや ネブラスカの オマハよりも繁栄していた。

戦後の発展で インタースティツ・ハイウエー・システムも建設され、大きなインターチェンジも出来、それによって連邦政府は ティンカー・エアーホース・ベースを置いた。

1970 年代と1980 年代にはドーナツ化で、中心部の人口は減少したが、1993年「the Metropolitan Area Project 」が大規模な再開発をやり、市民プロジェクトで中心部の再建を進めて成功。結果として、中心部の人口も増え、街は活性化して更に大きく成る。

1995 年4月9日、Murrah Buildingの爆破によって、周辺の破壊とたくさんの犠牲者を出し、街はかなりの打撃を受けたが、跡地は今「オクラホマ・シティー ナショナル &ミュージアム」と成っている。

1930 年代に街は積極的に航空産業を誘致し始め、1940 年代アメリカ政府の機関 FAA(Federal Aviation Administration)
が置かれ、以降航空関連でも国の重要な地と成っている。

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