ルート66アメリカ横断 大全集 ルート66写真家 Ken Kanazawaが徹底解説、ルート66の全てがここにある

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アメリカ伝説 ルート66タトゥー マン ロン・ジョーンズ アフトン

タッウーマン ロン・ジョーンズ

タッウーマン ロン・ジョーンズ

アメリカ伝説ルート66タトゥー マン
ジョン・ロン オクラホマ州  Jones Ron Tatoo Man
米国オクラホマ州南西オタワ郡アフトン、総面積4.1 km2、標高240 m、人口約1049人。

アフトンの歴史
アフトンと太平洋鉄道会社が1871年にヴィニタへのトラックを建設した後、アフトンはインディアン・テリトリーの チェロキー・ネーションの地域で町は開設された。

オクラホマの歴史家ジョージ・シャークは、スコットランドの鉄道測量士アントン・エアーズが、アフトンという町の名を付けたと語っている。

郵便局が1886年に設立され、1900年の人口は約606人。1901年に、フリスコの一部と成ったカンザスシティ・フォートスコットにメンフィス鉄道はカンザスシティへの線路を建設し人口増加を引き起こした。

タッウーマン ロン・ジョーンズ

タッウーマン ロン・ジョーンズ

1886年に設立され、鉄道測量者によってスコットランドのアフトン川に鉄道修理施設、ターンテーブル、ラウンドハウスを所有していた。 機関車の修理施設は、1926年にルート66が開通した時には施設は閉鎖された。

アフトンの町はフスコの分割地点と成り、農業地域の配送センターに成った。農業は主に小麦、トウモロコシ、干し草、家畜等が盛んだった。1910年には、アフトンの人口は約1276増加した。

町には2つの学校、水道、2つのホテル、2つの銀行、レンガとタイルの工場、新聞、工場と穀物エレベーターがあった。 1920年に人口は1518人に達したが、第一次世界大戦後の不況は1930年1219人に減少した。

ルート66 アフトン オクラホマ州

ルート66 アフトン オクラホマ州

1933年にイーグルDXステーションはオープンした。所有者といくつかのガソリン・ブランドは変わったが長年ガソリン等を販売してきた。

1940年の全盛期には、正面に3つの最新のDX燃料ポンプを備えた屋根構造としてステーションの設備だった。ルート66の最初の24時間営業の最新型のガス・ステーションだった 。

1957年のオクラホマ州の州間高速道路I-44が開通し交通の流れが大きく変わり、経済的な生命線としてルート66に依存していたアフトンの町を衰退させた。  

アフトン・ステーション パッカード博物館
Afton Station Packard Museum
オーナー ローレルとデヴィッド・ケインは、オクラホマ州アフトンのルート66 にある1930年代のEagle DX ステーションでしたが、修復され私有自動車博物館としてオープンした。

ルート66 アフトン オクラホマ州

ルート66 アフトン オクラホマ州

ショールームに、18 台のパッカードやヴィンテージの車に加えて、バッファロー・ランチ・トレーディング・ポストの歴史的アイテムやルート66のコレクションを収容している。

修復された歴史的なDX燃料ポンプは博物館の正面に設置され、青い ” Approved Packard Service “ディーラーのロゴマークの看板がある。

バファローランチ・トレーディング・ポストは1997年に所有者のAleene Albroの死去を控え、2002年に解体された。

ローレル・ケイン( Laurel Kane)
ローレル・ケインとデイビット・ケインは1999年に元のDXステーションを購入して復元し、パッカードのコレクションを収容する為に博物館をオープンした。

インターステートハイウェイシステムによって長い間バイパスされていた活気に満ちたルート66の町は、800人と人口が減少した。

ルート66 アフトン オクラホマ州

ルート66 アフトン オクラホマ州

アフトン・ステーションは、アリゾナ州フラッグスタッフで 開催された2009年国際ルート66フェスティバルで「今年のルート66ビジネス」として認知されました。AftonHistory Museums, Museums
12 SE 1st St, Afton, OK 74331-2323
918-284-3829

ルート66のタトゥーンマ ン ロン・ジョーンズ
ロン・ジョーンズは、ハイウェイ60を経由してヴィニタから約70km西にあるオクラホマ州バートルズビルに住んでいる。

1990年代半ばに、ロンと彼の愛車をカスタマイズしたチェビーは、サンルーフとログチェーンハンドルを完備し、マザーロードを旅し始めました。

ロン・ジョーンズは1956年製のシボレーを30年間所有している。赤と白と青の色でルート66の地図とルート66アイコンが飾られた車はルート66の宝でもあり、ルート66タトゥーマンとして世界的に有名な方です。 

タッウーマン ロン・ジョーンズ

タッウーマン ロン・ジョーンズ

ロン・ジョーンズは51歳で最初の入れ墨を入れ、全てルート66のアイコンのデザインで、現在は162個以上の入れ墨が入ってます。アーティストNaohiro Yamamotoさんが私をモデルした作品が、彼のタッウーの仲間入りして頂いた事は光栄です!

お気に入りのタトゥーを持っていれば、幸せだそうです。特にロンはアリゾナ州 セリグマンのスノーキャップドライブインが好きで、スノーキャップのオーナーのファン・デルガディードは、 ルート66の本当の宝物だったと言っています。

タッウーマン ロン・ジョーンズ

タッウーマン ロン・ジョーンズ

又ロン・ジョーンズは、ミズーリ州 カーセージの 66ドライブイン、イリノイ州 スプリングフィールドでコージードッグがお気に入りだそうです。

ジョーンズ・ロンとベトナム戦争
ジョーンズは1969年にベトナムで有名なハンバーガーヒル戦争の生存者でパープルハートを獲得しました。約数年前、ロンはPTSDと診断され色んな障害を持っていて、ベトナム戦時経験について詳しく話をする事は無いそうです

ハンバーガーヒルの戦い
ハンバーガーヒルは、1969年5月にベトナム中部で起こった、ベトナム戦争の実際の戦いを元に映画化されている。


残酷でグロテスクなまでに、リアルな戦争描写で、戦争へ行くなんて、冗談じゃない!と思うでしょう。

ハンバーガーヒルの名称はニックネイムで、937高地、ベトナム名ドン・アプ・ビアへの攻撃は、米軍側にかなりの損害を出し、ひき肉される丘と言う意味から、兵士たちにハンバーガーヒルと呼ばれた。

1945年に誕生した共産主義国家の北ベトナムが、南ベトナムへ南下し、東南アジアが共産化する事を防ぐ為、1963年、トンキン湾事件を口実に、米軍が軍事介入した。

ハンバーガーヒルの戦いがあった1969年当時のベトナム戦争では、北ベトナム軍は、米軍とは正面切って対峙せず、ホーチミンルートと呼ばれる、北ベトナムからラオス国内経由南ベトナムへの連絡路によって、北ベトナムのゲリラ、通称ベトコン(実は北ベトナム正規軍が多かった)が浸透して、ゲリラ戦を展開していた。

ルート66写真家Ken Kanazawa

ルート66写真家Ken Kanazawa

ホーチミンルートの捜索と全滅、ベトコンの掃討を目的として、アパッチ・スノー作戦が企図され、ハンバーガーヒルの戦いは、アパッチ・スノー作戦の一部として戦われた。

戦いを指揮し101空挺師団、第3旅団長ジョセフ・コーミィ大佐は、当初は軽い威力偵察のつもりで、937高地の攻撃を命じた。

5月11日、輸送ヘリによって、101空挺師団、187連隊、第3大隊は戦場近く、937高地の北方の尾根、ランディングゾーンまで空輸され、アルファ中隊とデルタ中隊は、北および北西から、ブラボー中隊およびチャーリー中隊は別のルートから、937高地へ向かった。

ブラボー中隊は、予想外のベトコンの激しい抵抗を受けた。
第3大隊指揮官ウェルドン・ハニーカット中佐は、攻撃ヘリ、ヒューイ・コブラの支援を受要請したが、深いジャングルのため、ヒューイ・コブラは誤って、ブラボー中隊および187連隊司令部に攻撃して、2名の戦死者、35名の負傷者を出した・・・

北ベトナム軍の第29連隊の第7および第8大隊は、937高地に約630人の遺棄死体があった。

タッウーマン ロン・ジョーンズ

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937高地の占領も、ベトナム戦争の戦いの成果には何の影響もなかった。ザイス少将は、この戦いの後、24軍団長に昇進する。「一将功成りて、万骨枯る。」そんな戦いだった。

欧米と日本のタトゥーンの分化の違い
18歳から29歳までのアメリカ人のうち36%はタトゥーが最低一つ入っている72%の人の入墨は普段は服で隠れていて見えない女性に人気の入墨を入れる場所は、足首と肩の後ろアメリカ人全体の21%が入墨をしている全ての大卒のアメリカ人のうちの30%が入墨をしている30歳から39歳のイギリス人のうち30%が入墨をしている。

入墨に関しては、日本人と欧米人では考え方も、カルチャーも違い
20世紀後半(1970年以降)頃から、再びタトゥーに対するイメージが大きく変わりました。それまでのタトゥーは一般社会からはみだした者の象徴といったイメージでしたが、この頃から、自らのアイデンティティーを示すためのツールに成ったからです。

タッウーマン ロン・ジョーンズ

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その中心となったといえるのが女性です。自らの権利を主張するためタトゥーを入れる女性が増えたのです。これにより、武骨な、見る人を怖がらせるようなタトゥーではなく、ネイティブアメリカンが長い間使っていた伝統的な図柄を採用したり、グラフィックアートを学んだ者が、顧客の要望に合わせてオリジナルな図柄を提供するなど、タトゥーの洗練化がなされました。

やがて最先端のファッション街にタトゥーパーラーが出現し、タトゥーはファッションの一つといったイメージが定着していきました。女優アンジェリーナ・ジョリーが子どもの頃からタトゥーを入れていたことは有名ですが、俳優やトップアスリート、ミュージシャンなどの多くがこぞってタトゥーを入れるように成りました。

ヨーロッパでも同様で、現在、イギリスでは、16歳から44歳の3人に1人がタトゥーを入れていると言われています。また、フランスやドイツ、イタリアでもタトゥーを入れる人が増えているそうです。ちなみに、2010年のミス・イタリアはタトゥーを入れた女性でした。

その一方で、タトゥーに対して、あまりよいイメージを持っていない人が多いのも事実です。例えば、アメリカ前大統領のオバマ氏は、あるテレビ番組で、「もし二人の娘がタトゥーを入れようとしたら、私もお母さんもお前たちと同じようにタトゥーを入れて、ユーチューブで公開する」と言って娘たちをたしなめます」と話し、自分は娘たちにタトゥーを入れてほしくないと明かしています。

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